邪馬台国 下関

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zoom RSS 有冨の中村大王(おおきみ)

<<   作成日時 : 2017/02/17 09:40   >>

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高天原の家系  邪馬台国(倭国王) の位置
下関市有冨上 中村さんは皇祖神の直系。 庄屋の儀万さんは天武系「瀛」
下関市吉母の御崎。 とくに奥地の字「淵ヶ谷」 三井(みい) さん
北九州市門司区 小森江 羽山1丁目 庄屋の古野さん (旧姓 富留野)

本当の記紀・万葉の場所は上の3つ。

邪馬台国
有冨上 字「中村畔」、ハンドウ山

神武東征 国見丘の大石 山上の伊勢
ハンドウ山 山頂から平たい尾根を100 m 行った所

邪馬一国
吉母の御崎 字「淵ヶ谷」 「一」 は伊勢

顕宗紀 文庫書記104-2
稚子 長門、吉野の伝い と同じ。
大石尊
 大石 海岸の伊勢
 命でなく
この場所も吉母御崎 字「淵ヶ谷」

室津は「木ノ村」 で紀伊国
播磨国 吉母・永田・吉見

蓬莱の神仙郷 2か所
・ 有冨 ハンドウ山 山頂から平たい尾根を伝わって大迫池の上の尾根 香山
・ 吉母 御崎の奥地 字「淵ヶ谷」 滝がある所 と 下の海岸 天山
逸文 伊予国 の香山・天山である。


御崎神社−樋の口神社(安常)−永田 御堂遺跡−竹生寺−鯨の尾ヒレ
が直線上に並ぶ。
「鯨の尾ヒレ」 とは神武東征 久米歌、常陸国風土記 久慈郡 の鯨であり、
有冨 大迫池横の有冨墓地の東側尾根である。

御崎神社 − 天山 毘沙ノ鼻の万葉歌碑は伊予の天山

鯨の尾ヒレ香山 有冨ハンドウ山の奥の院が倭(大和国) の天加具山
山口県文書館にある地下上申絵図によれば、この場所はかく石峠と記される。
ハンドウ山の奥地は大谷とあり、逸文 常陸国 の大谷村に比定できる。
薬師池の上はふせぎが谷、竹生寺の山号 高山 は風水の玄武だ。

倭の香山 − 有冨ハンドウ山の山頂。 または鯨の尾ヒレ
伊予の天山 − 御崎の淵ヶ谷。 または毘沙ノ鼻・御崎神社
それぞれ候補地が少し離れて2か所ある。

石原の砕石場によって崩されている山の名前 東ヵ嶽は道教の泰山のこと。
毘沙ノ鼻・御崎神社の横は下関市の不燃ゴミ捨て場になっている。

奈良県と下関市有冨上は栗本慎一郎のいう「双分制」 で対応している。
奈良県の山の辺の道にある龍王山は有冨龍王山(ハンドウ山) にあたる。


常陸国風土記=大和国風土記
常陸国風土記は言葉文体、内容から大和国風土記であることが一読瞭然だ。


水江浦島子が行った蓬莱の仙衆は御崎の淵ヶ谷である。
水江浦島子の日下部首の先祖である。 万葉集1023 大埼の神の小浜 を綾羅木郷遺跡近く 字「大森ア」 と見て、水江浦島子の家もこの辺にあった。

草壁連醜経 白雉
今我が親神祖の知らす、穴戸国 は御崎の淵ヶ谷

吉野の場所は複数あり、御崎も吉野。
筑紫、伊予国、丹波国、丹後国、播磨国など、みな御崎である。


病気が心配
集落の人口が50人を越えると伝染病が蔓延して一挙に村が全滅する。
渡来人、外来の者は結核、コレラ、インフルエンザ、肝炎ウィルスを持ってる。
不老長寿の神仙郷 下関は倭の政策によって人口まばらであり、通行は北九州市小倉が使われた。 渡来人、外来の者が集まる人口密集地は医療が進歩してない昔では早死にする。

奈良県の平城京跡 − 人口20万人以上
下関にあった倭国の都 − 万葉集の都には7、8人しか住んでいない。


『古代遺跡 謎解きの旅』 風水ウォーキング 松本司 著 1999年
目次の裏



初め混沌〈〜〉としていた大地〈−〉に


世界を構造的・原理的に理解しようとする陰陽思想〈十〉が生まれ、


シャーマン〈巫〉は地上に十字状の柱を立てて太陽の影を見る土圭法〈土〉によって


時や方位を知るようになり、農耕の鍵を握った。


その中から〈王〉が現れ、大王〈玉〉になり、その後


税〈米〉をたくさん集めて律令国ができたが、


国家の混乱時には〈巫〉女の血を引く女帝が立てられたのだった ・・・・・・。


纏向の「纏」(てん) は風水の「砂」。


文献のカラクリ
記紀、万葉、風土記などで地名はちがっても場所は同じ。
万葉集、続日本紀の年代は50年繰り上がるか。

『日本後紀』 集英社
753-12 773-6
高位の人が入室して来たら、跪伏にかえて起立して深く拝礼しろ
貴い者に会ったら、跪くことをやめて起て
   ↓
天武紀 文庫書紀D184-7 と同じ。
日本後紀も古い時代の下関倭国の史料を使い回している。





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