邪馬台国 下関

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zoom RSS 御崎の三井(みい) さん 筑紫君

<<   作成日時 : 2017/02/15 12:03   >>

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関西 − 東国兵・蝦夷
山口市 − 浮囚郷
遠賀川 − 新羅 天日槍の弟 知古は直方市の地名
糸島・福岡平野 − 神功皇后が征伐した西蕃の新羅
平戸・宗像 − 百済・秦 渡の屯家
熊本 − 呉国
島根県出雲 荒神谷遺跡 − 石上乙麻呂が流罪となった土左国

那津官家は小倉 三萩野

近江国
近つ淡海 長府
遠つ淡海 土井ヶ浜・油谷湾


万葉集では長門は海岸なので、「長門」 が内陸の有冨上にあったとする自説は誤り。
  ↓
わかった!!
万葉集1024 長門守 巨曾部朝臣対馬の「対」 は御崎を示し、馬が岸の蓋井島へ泳いで渡ることを「対馬」 で表記している。 本州最西端、毘沙ノ鼻の万葉歌碑は正しい。

蓋井島はf 字形をしている。 f 字鏡板付轡は蓋井島の形をデザインしたものである。

の銀、伊予国 御山の銀 は御崎の字「淵ヶ谷」 か。
吉母御崎の奥地「淵ヶ谷」 に銀鉱あり...
  ↓
御崎 字「淵ヶ谷」 は石灰岩のカルストで、セメント会社の船が着いて石灰岩の採掘が行われていた。 地質調査では掘れば温泉がでる可能性があるという。 滝があり銅鉱だったという洞穴がある。

御崎の淵ヶ谷は掘れば温泉がでるかもという。 伊予熟田津石湯は淵ヶ谷か。
持統5年(691) 伊予国産銀を献上も淵ヶ谷だろうか。

魏志倭人伝 対
隋書俀国伝 都斯麻
であり「対馬」 という表記ではない。

室津下の 対田さん → 対馬
http://44051510.at.webry.info/201311/article_1.html

下関市の個人名電話帳で「対馬」 という名前を調べれば3人いる。

日本の古代史は神仙思想との絡みなので、本州最西端の下関市吉母 毘沙ノ鼻・御崎に不老長寿の気配ありだ。 この地にも神功皇后伝説、空海伝説がある。


石井は「竺紫」。 筑紫、竺紫もよくわからない。

万葉集
1128 石井之水者
3235 五十師乃御井者

筑紫の聞物部大手 雄略紀 文庫書紀B80-7

継体紀 文庫書紀B192-9
天皇、親ら鉞を操りて、大連に授けて曰はく、「長門より東をば朕制らむ。 筑紫より西をば制れ。・・・」
「汝」 という字は大汝(大国主命) を示すか。

日本書紀 筑紫と伊勢は場所が同じ。
西の戎 文庫書紀B192-1
賊の磐井 文庫書紀B192-末

筑紫の御井郡の場所は御崎 淵ヶ谷 の三井(みい) さん宅だ。

倭の国王 升等 後漢書倭伝
筑紫君薩野
も御崎の三井さん宅で、家の前の海岸が伊勢だ。

筑紫の君 磐井は福岡県八女市吉田の岩戸山古墳ではなく、下関市 本州最西端 御崎 字「淵ヶ谷」 の三井(みい) さん宅に比定できる。

小学館 新編日本古典文学全集 日本書紀 2
P311 訳
磐井は西戎の狡猾な輩です。 川の阻みを頼みにして朝廷に従わず、山の険しさを利用して反乱を起しました。
  ↓
日本書記 継体紀に書かれた磐井の地勢は福岡県八女市に合致しない。
磐井の墓については風土記の「逸文 筑後国」 が参照されている。


継体天皇が筑紫君磐井を討伐するにあたって物部麁鹿火大連に斧鉞を授けたわけは磐井の住居が下関市吉母 御崎 字「淵ヶ谷」 の三井(みい) さん宅であったためである。 御崎の三井さんは筑紫君磐井、薩野馬の直系子孫である。

万葉集1024 長門守 巨曾部朝臣対
「対」 という表現・表記にある「」 に着目して、「長門」 の地名場所は本州最西端 毘沙ノ鼻にある万葉歌碑の近く、御崎馬の場所ではないかという閃き・思いつきを得た。

御崎馬 ・・・ 下関市に伝わる民話集に載る。
源平合戦時の名馬が御崎の淵ヶ谷の丸山(丸瀬) にいた野生馬だったこと。
子馬が岸の蓋井島へ泳いで渡っていたという。
「対馬」 という表現・表記はこれだ。


万葉集 「長門」 の歌
3243 長門の浦
処女 伊勢乙女

3617 
安芸国長門島 神武東征 安岐の多祁理
大石蓑麻呂という名前
 大石 伊勢
 蓑 御崎馬がいた丸瀬は「大草」「草立」 と呼ばれ、大草が生える場所。

御崎馬は野生馬だった。 筑紫君薩野馬

3621
奈我刀能之麻之 小松原
御崎海岸の地名「小松ヶ瀬」

以上から、「長門」 は下関市吉母の御崎に比定できる。

油谷湾の感じもある。
3242 油谷蔵小田の「みのが峠」
3244 阿胡 阿川
3243 沼名河 土井ヶ浜の沼川

御崎を流れる川の名 未詳


吉母の御崎の奥地 字「淵ヶ谷」 の重要性 本州最西端
石灰岩の地 カルシウム 硬水 不老水
もしかして銀鉱があったか
三井さん宅が筑紫君磐井
丸山(丸瀬) に天斑馬。 大草が生える草立。 筑紫君薩野馬
海岸の岩場に伊勢乙女たちがいた。 大石の上に弁才天の祠が立つ。
対馬暖流で冬暖かい。 「正月不知」 と呼ばれた。

隠国 (こもりく)
吉野の泊瀬、吉野の瀧 も御崎だ。


『よしみ史誌』 P716〜718 は必読である。
浦島太郎の作者 伊予部馬養連は御崎 淵ヶ谷の人だ。

龍宮城
万葉集3245 天橋  向津具だろうか。
『逸文 丹後国』 の天椅立は向津具か。 歌の流れからすれば御崎だ。
御崎の奥地 字「淵ヶ谷」 は神仙の桃源郷だ。 隠国(こもりく)。


わかった!!
「天」 は易経で乾為天
天(あめ) の場所は有冨 字「中村畔」 から北西の方位

「天」 (あま、あめ) は北西の方位の場所だ。

八卦
   父  北西 頭 金

天とは八卦の乾だった。


風土記
伊予国 山 香山

丹後国 奈具社 天女8人=筑後の八女
筑後の御木=扶桑樹 の場所は御崎。
山海経の黒歯国は吉母の黒嶋か。

風土記581下
今まで「常世嶋 男嶋女嶋」 は川棚沖の厚島と思っていたが、ここは御崎か。


続日本後紀(下)  講談社学術文庫
P326  嘉祥2年3月26日
  ↓
この場所は御崎だ。 吉野は複数か所あり、御崎も吉野だ。

野馬台
下関市吉母御崎 淵ヶ谷 の丸山に野生馬がいた。「野馬」 は野生馬を表す。





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