邪馬台国 下関

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zoom RSS 常陸国那賀郡 下関市有冨 字「中村畔」

<<   作成日時 : 2017/01/16 23:20   >>

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下関市 有冨銀郷説
文庫書紀B154-4 武烈紀
伏して願はくは、陛下、仰ぎて霊祇に答したまひて、景きなる命を弘め宣べ、日本に光り宅しませ。 誕き銀郷を受けたまへ」 とまうす。


富夲銭
「富」 は下関市有の「富」
「夲」 は『角川 大字源』 によれば、十人の力を兼ね合わせたほど、く進む意
速=建須佐之男命

「夲」 は「大」 と「十」 に分解できる。
「大」 は常陸国風土記 那賀郡の巨人
常陸国 那賀郡の場所は下関市有冨 字「中村畔」
中村本家さん宅に貝塚があったという証言がある。
本当の飛鳥池は中村本家さん宅横の「儀万の池」 である。

「十」 は隅田八幡神社 人物画像鏡の日大王、仏教の王。 有冨上の人家は10軒程度。 十大王の「日」 の場所は はんどう山の登り口で、ここが神武紀の「道臣」(文庫書紀@212-5)。

山口県風土誌(第9巻 P357-末行 有冨村 境界) によれば
竹生山の東峰は山名が東ヵ嶽である。

太山府君
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B1%B1%E5%BA%9C%E5%90%9B
  ↓
東嶽=泰山。 泰山府君祭は長寿・不老不死の祭祀。
「東嶽」 は冥府である。 昔、有冨墓地の上に火葬場があった。
東嶽=冥府=冥土=常世。 常陸国は常世の国。
有冨墓地は道教仙人の地である。

竹生観音は蒲生野山田にあるが住所は有冨であることから有冨の寺である。
竹生観音の山号は高山。 竹生観音の横に妙見社がある。
高山は風水の玄武、鼈亀(べっき)。
妙見=北極星。

易の「乾」(=天) の方位は経筒が埋められている竹生観音の奥の院。
「艮」(鬼門) の方位は大迫池の上。

竹生観音の真南の方位に名字が儀万という家がある。
儀万という名は易経の根源によると考えられる。
万葉集 漢字原文で使われている「儀」 の字は儀万の家を示す。

下関市有冨上は四神相応の地である。
奈良盆地南部の明日香村は川が南から北へ流れる愚地である。
奈良県南部は天子南面にならない。

奈良県の遺跡は下関市有冨上のコピーである。
コピーする根拠は栗本慎一郎が説く「騎馬民族の双分制」 である。

常陸国風土記は茨城県ではなく下関市有冨である。
常陸国風土記は文体から大倭国風土記であり、倭は下関市有冨上である。


渡海
元寇が参考になる。
元の使者が下関市室津に来たことから下関市室津は倭国の玄関だった。

『モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮 紀子著 日本経済新聞出版社 2007年
口絵7 広輪疆理図(『水東日記』所収) 大倉集古館蔵 に「徐福祠 長門 赤関」 とあるので徐福が住んで死んだ所が下関市域内にある。

元軍は鷹島と志賀島に上陸した。
私見では松浦市が竺紫高千穂宮である。

日本書紀、万葉集などでは中国、朝鮮南端、対馬、五島を出航して次の寄港地が記されていない。 どうやって関西まで行ったか、日本海経由、北九州、中国山地、瀬戸内海をどう行ったかの記録がない。 中国、朝鮮、対馬、五島を出航した後いきなり難波に着いていることから、難波の場所は玄海灘〜響灘の沿岸にあり大阪府ではない。


精神文化、心、信仰
縄文晩期は3000〜2400年前
2017年−2400年=紀元前383年
日本の縄文晩期〜弥生前期は中国の殷・周・春秋戦国時代の精神である道教、風水、易、陰陽五行、諸子百家が勃興した時代である。
原始古代の中国哲学は縄文期を見る教養である。
日本の縄文晩期〜弥生前期は理数系アプローチでなく文学部の王道「中国哲学」 で考察したい。 日本の民俗・祭祀の陰陽道も必修である。


地名・方位
蒲生野(かもうの) は奈良県方言。 万葉集20 題詞
有冨上の小字地名「善波」 (ぜんなみ、よきなみ) も雅風がある地名だ。

火の山、青山の「火」「青」 は五行・風水の地名だ。
磁針方位 西偏約7°
有冨上を基点として火(=南) 青(=東) である。 青銅器が出土した梶栗浜遺跡は有冨上の西方(=金、死滅)に位置する。

伊倉の火ノ見山は日見山とも書く。
伊倉の「イク」 は別説として「イク」=火神説  『山口県地名考』(高橋文雄)

朱の精製跡が出土した石原156番地
L字状石杵が出土した場所は石原コスパ裏の崖上
この場所は はんどう山 登り口と火の山を結ぶ直線上にある。
はんどう山 登り口から火(朱、赤、南) の方位に石原156番地がある。

纏向の「纏」 の字は中国風水を表す。
垂仁天皇、景行天皇の頃には既に陰陽五行、風水で暮らしていた。
場所は奈良県ではなく下関市有冨上。



『富本銭と謎の銀銭』 貨幣誕生の真相 今村啓爾 著 小学館 2001年
  ↓
この本の欠陥
武烈紀 「銀郷」 文庫書紀B154-4行目
古事記 銀(しろがね) の王
について論及されてない。


『「日本」国はいつできたか』 改訂版 大和岩雄 著 大和書房 1996年
P69
道教思想によれば、東海の日の出の場所にある桑に似た神木、扶桑の上に東王公のいる大帝宮がある。
「大王(おほきみ) は神にしませば」、「天雲の雷(いかずち) の上に廬(いほ) りせるかも」、または「雲隠る雷山(いかずちやま) に宮敷きいます」 という柿本人麻呂の歌は、「廬り」 や「」 を大帝宮とみての歌とも考えられる。
大帝宮は扶桑の上にあるから、雷山のある地を扶桑とすれば、当然、大帝宮は雷山の上の「廬」 や「宮」 である。 その宮にいるのが神である大王(おほきみ)、つまり扶桑大帝東王公である天皇である(中国の「天皇(てんこう)」 とは扶桑大帝東王公のこと)。


『蓬莱山と扶桑樹』 岡本健一 著 思文閣出版 2008年
P16
(蓬莱山など三山の別名)三壺はすなはち海中の三山なり。
一に曰はく方壺、すなはち方丈なり。 二に曰はく蓬壺、すなはち蓬莱なり。 三に曰はく瀛壺、すなはち瀛洲なり。 形は壺器のごとし。
(王子年 『拾遺記』 巻一)

東王父は・・・・・・万神の先なり。 ・・・・・・東方に治す。 下に蓬莱山在り。
(葛洪 『雲笈七籖』 第三神仙)


P25-4行目
中国・晋代の『王子年拾遺記』 によると、三神山の一つ「瀛洲」 は「積み石多し」 という。

  ↓
十=扶桑説
「十」 は隅田八幡神社 人物画像鏡の日大王、仏教の王。
銭の「夲」 の字は「大」 と「」 に分解できる。

私見では「十」 は扶桑樹を表す。

淮南子 の太陽

扶桑 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E6%A1%91
烏が乗る10の太陽

和同開珎 関西仏教デザイン
富夲銭 方士だった天武天皇 道教・陰陽五行デザイン

七曜の地 下関市有冨上 字「中村畔」。 とくにハンドウ山の登り口下

万葉集の雷山は有冨のハンドウ山である。
竹取物語のかぐや姫は有冨の岩谷さん裏の竹林 字「金鋳ヵ谷」 に住んでいた。
お迎えが来たのでハンドウ山を登って月の都に帰った。

竹生山の東峰は山口県風土誌によれば「東ヵ嶽」 という山である。
東嶽=泰山 蓬莱山
神仙の岩山が石原の砕石場になって無残に崩された。


別な見方
私は山海経 海外東経 の「青丘国」 を下関市有冨上にする。
なら扶桑は吉見上 鬼ヶ城山〜吉母上か、もう少し北か。

私見
中国の古い地図では九州の南方海上に扶桑があり日本列島が南北逆転した図になっている。 これは約6400年前(縄文早期後半〜縄文前期) に大噴火した鹿児島県硫黄島付近の鬼界カルデラを「扶桑」 とした固定観念による。

鬼界カルデラは種子島の広田遺跡に近い。
男が女装した広田遺跡の人骨は下関市有冨上から来た巫覡であろう。

考古学 土井ヶ浜遺跡と広田遺跡の貝製品は加工の仕方が似る。
広田遺跡の貝製品の文様には大陸の影響が見られ、「山」 の字が彫られる。

戦前まで有冨のハンドウ山は松が茂る山だった。 高松塚古墳の「高松」 は有冨のハンドウ山のことであり、高松塚古墳壁画の天女は下関市有冨のハンドウ山にいた女たちである。

私見では、方丈は下関市室津、瀛洲は土井ヶ浜・向津具(楊貴妃伝説)


日本書紀 神武東征
文庫書紀@218-6
高尾張邑(葛城邑) 赤銅の八十梟師 有冨 字「金鋳ヶ谷」
文庫書紀@236-2
又高尾張邑に、土蜘蛛あり。 其の為人、身短くして手足長し侏儒に相類たり。
土蜘蛛 穴の中や粗末な廬に住んでいる。
手足流し 長髄彦、七掬脛、高田八掬脛
侏儒 南方系
ただし葛城山は仙人の山である。
仁徳記 石の比売の葛城 高宮はハンドウ山の上、石がある所である。

八俣大蛇の「高志」 は続日本紀では行基の出身地で和泉にある。
古事記 黄泉、日本書紀 泉津、続日本紀 和泉 

母木邑 「母」 は伊弉冉尊か 
前勝谷 熊野神社跡 戦時中まで松の大木あり。
住吉神社 神木

巨樹 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E6%A8%B9
  ↓
播磨、近江は長府。 長府に巨樹があったので「日本」「日下」 か。
記紀・万葉などでは東西が逆に記述されているのか。

住吉忌宮 北樹社
http://44051510.at.webry.info/201411/article_23.html
  ↓
書いたのが3年前なので今とは見解が異なるところが多い。
北樹社は吉見の龍王神社だろうか。






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