邪馬台国 下関

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<<   作成日時 : 2016/10/13 00:33   >>

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元号
元号とは? 【一覧】で大化〜平成までをチェック
http://idea1616.com/gengo/

日本の国旗(日の丸)、国歌(君が代)、天皇の称号、元号(明治、大正、昭和、平成) の起源、天皇陛下ビデオメッセージ(東日本大地震)、とは(2011.3.21)
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/167.html

明治、大正・・こんなにあるの?? 『易経』 由来の日本の元号
ttp://eikahounet.com/2016/05/08/gengo_ekikyo/


古墳
古墳入門 古墳めぐりウォーキング - 古墳めぐりウォーキング in 福岡 - FC2
http://kofunmeguriwalking.web.fc2.com/0_nyuumon.html

[PDF] 古墳の整備事例について キトラ古墳の諸要素を持つ古墳を中心として
www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/.../shiryo_4_3.pdf


神仙思想
記紀・万葉、古風土記、邪馬台国などは仙人である。 易経の六十四卦、五行配当を単語カードを作って覚える。 仙術=占術の知識を持たねばならい。

漢和辞典の巻末「付録」「資料集」 を覚える。 図書館でコピーする。


山城国 Wikipedia
 延暦13年11月8日(794年12月4日) の平安京命名の際に、桓武天皇が、山河が襟帯して自然に城をなす形勝から「山城国」 に改称した。

私見
京都市は山城になる地形ではない。 山の背でもない。


倭国  下関市 有冨上 遠山運送・レンタカー屋の裏
山城国  塚の原遺跡(ホームワイド新下関店裏の高層マンションが建つ所)


『倭国伝』 講談社学術文庫
P205
旧唐書 倭国
倭国は、古の倭の奴国也。 京師を去ること1万4千里、新羅の東南、大海の中に在り。
  ↓
Google 地図
新羅の首都だった慶州市の東南は山口県油谷町、美祢市、山口市である。

いろいろ調べて「倭の奴国」 の場所は下関市有冨 字「中村畔」 と判明した。
儀万さんは天万尊、中村本家さんは中皇子の皇裔だろう。

天御中主神社があった場所  山口県風土誌に3か所が載る。
有冨上 山田 ・・・ 場所はハンドウ山の登山口あたりの山地番「山田」 か
垢田 堀 ・・・ 当初は黒崎妙見(海岸の鼻ヅラ) に祀られていた
室津下 若宮神社の場所に素鵝神社があり、相殿 天御中主神社
※明治11年、疫神社を素鵝神社と改称

北九州市小倉北区 御祖神社 みおやじんじゃ
妙見山北西麓に鎮座  ttp://myouken.or.jp/page-139/page-159/
祭神は造化三神  天御中主尊 高皇産霊神 神皇産霊神
和気氏の祖先の神鐸石別命 和気清麻呂
寛政7年(1795) 小倉藩第5代藩主小笠原忠苗が山頂の妙見社に参詣したとき、土中から中国南宋産湖州鏡ほか9面を発掘。
小倉北区富野の須賀神社では足立山を鏡山と言い伝える。
  ↓
【県指定】 足立山頂出土 古鏡 9面
ttps://www.city.kitakyushu.lg.jp/shimin/02100194.html
湖州鏡は湖州から始まる銘文から付せられた名称であり、中国南宋で生産されたものである。 1号鏡の銘文から、承安4年(1174) に眼病平癒、延命のために奉納したことがわかっている。

南宋は日本の平家〜鎌倉前半


竺紫
松浦市 志佐 住吉神社が元あった所
  ↓
松浦市 志佐町浦免1038-3
ttp://matsuura-guide.com/matsuura-kanko-bussan-kyokai/

星鹿町 星の神 香香背男
魚固島 淤能碁呂島

松浦市の地名 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E5%B8%82%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D


大宝元年
古田武彦の史学では大宝元年(701年) ごろに王朝交替があったという。


『あざむかれた王朝交替 日本建国の謎』
斎藤忠 著 学研 2011年

『 『野馬台詩』 の謎 』 小峯和明 著 岩波書店 2003年



山城国
日本後紀 延暦13年11月8日
講談社学術文庫 『日本後紀』(上) P71-末

集英社 『日本後紀』
本では訓読文にルビがつくし、語の注釈もあるので読みにくい文ではない。
P45-13
此の国山河襟帯して、自然に城を作す。 斯の形勝に因りて、新号を制す可し。 宜しく山背国を改めて山城国と為すべし。 又子来の民、謳歌の輩、異口同辞にして、号して平安京と曰ふ。 又近江国滋賀郡の古津は先帝の旧都なり。 今輦下に接す。 昔の号を追いて大津と改称す可し。


京都市は「山背」 や「山城」 の地形ではない。 奈良県と京都府南部を比較すれば、川の上流で山城に適しているのは奈良県である。

上の文を長門国西部に適用すれば
近江国滋賀郡古津  長門市油谷町(渡)〜日置町(古市) 長門国大津郡 
山城国  長門市俵山〜豊田湖〜下関市豊田町殿敷

油谷町  柿本人麻呂歌の伝承地
豊田湖北岸  安徳帝 陵墓参考地
豊田町殿敷 字「高熊」  須恵器生産地


日本書紀を除く六国史は編纂過程が不明である。
日本後紀、続日本後紀を読むと、歴史的人物の書き方が遠い昔の別の国の人を断定的にぞんざいな扱いで書いた感じである。 正史、歴史書の文体ではなく歴史小説家による酷な人物評である。

下関倭国の史書を使って、それに関西の史実を加えて編集したのが平安時代の日本後紀、続日本後紀だ。





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