邪馬台国 下関

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zoom RSS 老子、風水は考古学と対立する。

<<   作成日時 : 2016/10/06 23:53   >>

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江戸時代まで日本人は陰陽道で生活していた。 陰陽道は修験道も含む。

Wikipedia 「老子」「太上老君」「道教」 を検索して読む。

老子 Wikipedia 
老子の社会階級
老子が描く理想的な 「小国寡民」 国家は、とても牧歌的な社会である。
小國寡民。使有什伯之器而不用;使民重死而不遠徙。 雖有舟輿,無所乘之,雖有甲兵,無所陳之。 使民復結繩而用之,甘其食,美其服,安其居,樂其俗。 鄰國相望,雞犬之聲相聞,民至老死,不相往來 — 道コ經80

老子が言う小国寡民の国。 そこでは兵器などあっても使われることは無く、死を賭して遠方へ向かわせる事も無い。 船や車も用いられず、甲冑を着て戦う事もないと、戦乱の無い世界を描く。 民衆の生活についても、文字を用いず縄の結び目を通信に使う程度で充分足り、料理も衣服も住居も自給自足で賄い、それを楽しむ社会であるという。 隣の国との関係は、せいぜい鶏や犬の鳴き声がかすかに聞こえる程度の距離ながら、一生の中で往来する機会なども無いという。 このような鮮明な農村の理想風景を描写しながら、老子は政治について説いてもおり、大国統治は小魚を調理するようにすべきと君主へその秘訣を述べ(60章)、要職者などに名声が高まったら返って謙虚にすべきと諭している(9章)。



寡民 ・・・ 人口は少ない
甲冑 ・・・ 山口大学 考古学 田中晋作 の研究あり

「文字を用いず縄の結び目」 の文言は隋書俀国伝の 文字なし、ただ木を刻み縄を結ぶのみ。 に通じる。
俀国の古(いにしえ) の民は無学文盲ではなく老子の教養で暮らしていた。

考古学と風水は対立する。 風水は道教であり老子の思想である。
神仙思想は人工的なものを斥け大自然そのままを尊重する。
仙人の世界では考古学関係者が注目するモノは元から無い。

太上老君の上には絶えず稲妻が光っている ※1 → 万葉集235

万葉集3344
大土 「土」 は五行で「中央」
「火穂跡而」 は反閇(へんぱい)

日本書紀の道臣の「道」 は道教である。
老子の思想は厭世隠遁なので目立つ巨大建造物は造らず、大自然そのままを維持した中で暮らす。
奈良県、大阪府、福岡県の遺跡・古墳は巨大で豪華だから道教・老子ではない。

考古学はサイエンスであるが風水は迷信・呪術である。
考古学は正確な情報であるが風水・五行・易経は古い中国の教養である。
考古学は即物的・俗物的で哲学がない。

風水では川の流れや道はくねくね蛇行していなければならず、直線は殺気であるとして嫌う。 直線基調である都城の条坊制は風水本来のものではない。


北部九州型弥生人、土井ヶ浜弥生人などが中国から渡来した人々だったなら、殷・周から前漢までの中国思想も日本列島に入って来た。

古代史シンポジウムで配布されるレジメ
弥生時代の遺跡図で、東側の川・溝は青龍、南側は朱雀池 に見えるものがある。

遺跡を風水や陰陽五行で解明する。
弥生時代には風水・陰陽五行は日本に伝来していた。
遺跡の東部に川や溝があれば青龍である。

下関市
梶栗浜遺跡は海浜の埋葬遺跡であり多紐細文鏡と細形銅剣が出土している。
「西」 は死滅の方位で五行の「金」 である。
多紐細文鏡、細形銅剣は五行の「金」 を示している。


福岡県大野城市
牛頸 須恵器の生産地
牛頸 − 牛頭天王 − 素戔嗚尊
韓語で「牛頭」 を「ソシモリ」 という。 ※2

下関市形山 福岡県春日市の須玖式土器が出土
角川ソフィア文庫 新版古事記 P37-末行
其の泣く状は、青山を枯山如す泣き枯らし、河海は悉く泣き乾しき。
  ↓
青山は地名で下関市形山。 往古、青山には木が生えてなく、茅と蓬(よもぎ) の山だったという。 陰陽五行で「青」 は東。 有冨上の東。

私見
「天皇」 という称号は「皇帝」 よりも位が上である。 ※3
始皇帝より位が上の者は始皇帝の臣下である徐福ではなく神たる老子である。

老子が晩年に渡った国が邪馬台国だった。
記紀・万葉などの神仙思想は倭の源が老子の渡来とその後裔を示している。

志賀島の金印は偉大なる老子の国に授けたものある。
旧唐書の倭国(古の倭の奴国) は下関にあった。 「新羅の東南」 は新羅の首都 金城(慶州) から東南とすれば、山口県西部の 向津具・秋吉台 あたりか。
美祢市、山口市、防府市はよく調べたが下関市の方が邪馬台国くさい。

魏志倭人伝、隋書俀国伝は老子の国を示している。

老子から不老山(長崎県松浦市の徐福伝説地) が連想される。

万葉歌人の名「老」 は老子の場所にちなむか。
間人老、川上老、小野老、石川老夫、日置少老
奈良県五條市 北宇智駅 こんな山奥地が日本史の舞台であるはずがない。

邪馬台国、隋書の俀国は末盧国、竹斯からだいぶ離れた場所にあることから、
下関市有冨の大年池は万葉集の隠沼と私は判断した。


山口大学 考古学(田中、田畑) とは異なる私見
長門国豊浦郡 (平成合併後の広域下関市) は "老子の国"
をここに発表した。


2014/10/25 応神陵と古市古墳群
ttp://members2.jcom.home.ne.jp/taigaa_kok7/html_history/history_i.html
  ↓
日本列島 原始古代の中央の場所は
考古学の成果によれば ・・・ 大阪府 古市古墳群
私見の風水検分では ・・・ 下関市 有冨上


参照 (出典、ソース)
『現代に息づく 陰陽五行 増補改訂版』 稲田義行 著 日本実業出版社
※1 P100-10行目 
※2 P342-11行目

※3 『日本人なら知っておきたい 陰陽道の知恵』
武光誠 著 河出夢新書 P160 



大秦国
老子 Wikipedia
伝説では、老子は周を去る際、水牛に乗っていたという。

「老子」『列仙伝』 においては大秦国、ローマ帝国へ向かった。

郭沫若は、この関尹とはの稷下の学者の一人である「環淵」が訛ったものという説を述べた。 これに基づけば、環淵の黄老思想が老子の思想体系化に影響を与えたと考えられる。
  ↓
老子は西域ではなく山東半島の斉へ行った。


日本の「大秦」 は
神奈川県秦野市大秦町。 相模、富士山周辺の秦氏伝説
京都市 太秦

隋書俀国伝 秦王国
続日本紀 大秦公

私見
Wikipedia 老子 の 「文字を用いず縄の結び目」 の文言は隋書俀国伝の 文字なし、ただ木を刻み縄を結ぶのみ。 に通じる。
  ↓
大秦国=隋書の俀国 である!
私は隋書俀国伝に老子の言を発見した!!
隋書俀国伝の 文字なし、ただ木を刻み縄を結ぶのみ。 は老子である。

私見は岡田英弘、渡邊義浩の魏志倭人伝論とは異なる。
邪馬台国は老子の国だった。


小国寡民 老子
(私の想像)
生活はいたって古式であり、歴史時代に入ろうとしている時期に何百年も前の弥生時代の暮らし方をあえてしている。 文明の利器である鉄鍬は使用せず木鍬。 横穴式石室は導入せず箱式石棺墓のまま。 王侯でも家は粗末で小さな茅葺き。
  ↓
邪馬台国(倭国、蓬莱島) は "老子の考古学" で発見される。
古式の執着、驚くべき停滞、逆行。 時代の流れから取り残された場所。
贅沢品なし、ショボイ生活。 人口寡。
兵はおらず戦いはなく武器がない。

下関考古 老子流の 「小国寡民」 を実践していることを明らかにする。

下関市の勝谷丸山古墳群は古墳時代後期のものである。 横穴式石室墳だけでなく2基の箱式石棺があり、一部に古式の執着が認められる。


ネットで検索
「小国寡民」 老子
ttp://erikaishikoro.blog.fc2.com/blog-entry-818.html

[DOC] 松塾資料I『黄帝内経』と古代思想(3)黄老思想Ver.2
tokyo89am.or.jp/.../松塾資料I『黄帝内経』と古代思想(3)黄老思想Ver.2.docx
 ※従来、この『素問』 の文章は『老子』 から引用されたと考えられてきたが、『荘子』 から引用されたのかもしれない。
『荘子』外篇の胠篋(きょきょう=つづらを開くの意味)篇にも『老子』第80章と同じ文がある。
福永光司は、『荘子 外篇』(新訂中国古典選 朝日新聞社)で、注記している。


結縄 knotted cord
ttp://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_column_5.html
中国では,周易繋辞下伝,荘子外篇に登場する。倭人の風俗として『隋書倭国伝』(隋書巻 81 東夷伝倭国条)は,「無文字,唯刻木結繩」と記す。(文字無し,唯〻木を刻み繩を結ぶのみ)→ 布目

◆縄を結んで数を表す・結繩…隋書・老子・易経繋辞伝◆
ttp://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-cb0c.html

【900冊目】『荘子』
ttp://hachiro86.hatenablog.com/entry/20100515/p1

  ↓
反文明の老荘思想
文明=シュメール文明



『ゆがめられた 地球文明の歴史』 栗本慎一郎 著
技術評論社 2012年
P31-9行目
巨大建造物造りと文字使用の合体による文化を基盤とした文明はシュメールに始まる。





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