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ヤマト王権 「倭の五王」 は呉から来た

2016/09/26 20:20

リチャード・コシミズ_部落と在日
ttps://www.youtube.com/watch?v=rOLSzAsOrHM

『天皇陵の真相』 住井すゑ・古田武彦・山田宗睦 共著
三一新書 1994年
P51、52
住井 私は天皇家は中国系だと思っているんですがね。 飛鳥へ入ると中国系の村がね、完全に中国から渡来した村がありますよ。
飛鳥の人は、だいたい中国系だと思われるのは男でも足にも脛にも毛がないですよ。



『「神武」は呉からやって来た』 竹田昌暉 著 徳間書店 1997年
著者は東京大学医学部卒 虎ノ門病院 初代麻酔科部長を経て開業医

『徐福王国相模』 前田豊 著 彩流社 2010年
P30〜34
富士山麓 山梨県 山中湖 長生村
毎日新聞 昭和49年9月24日 の夕刊記事
「伝奇始皇帝の "金印" 富士山麓で見つけた」
  ↓
1991年、中国徐州博物館の李氏によって呉国 黄巾軍の大将の名と判明。


山梨県 八代町 狐塚古墳 呉の紀年鏡(238年) 出土

『三国志』 で陳寿が書かなかった孫権の外交戦略
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_04_26.htm
  ↓
■ 呉の紀年銘鏡の出土例はもう一面報告されている。
兵庫県宝塚市安倉南二丁目に築かれた古墳時代前期の円墳の安倉高塚(あくらたかつか)古墳から、昭和12年(1937)に赤烏7年の銘がある鏡が見つかっている。 やはり対置式神獣鏡である。 赤烏7年は西暦244年にあたる。


呉の鏡
山梨県 市川三郷町  鳥居原狐塚古墳 赤烏元年銘鏡
兵庫県 宝塚市  安倉高塚古墳 画文帯神獣鏡(赤烏七年)
熊本県 人吉盆地 免田町  才園古墳 鍍金鏡

沖田遺跡  下関市豊北町角島  
縄文時代終わり〜弥生時代初めの拠点集落 夜臼土器、陶塤
遠賀川・宗像地域と交流か。 関東の土器が出土。 


模擬講義 動画公開(文学部) 龍谷大学教授陣の研究を動画で視聴しよう
ttp://www.ryukoku.ac.jp/admission/movie/academic/let.html

龍谷大学 文献史学 生田敦司
「倭の五王と内政・外政」 下関市立考古博物館 講演レジメ 
百済・高句麗は長史(文官)を派遣、倭は司馬(武官
平西、征虜、冠軍、輔國將軍:中国三国時代に同じ将軍号
倭は朝鮮半島の南岸に拠点を築き、竹幕洞祭祀遺跡から黄海を渡っていた。
朝鮮半島海岸部に点在する倭遺跡を観察して、倭は百済を仲介させずに勝手に中国と往来していた。


私見
宋書の「倭の五王」 は呉の孫権が派遣した遠征軍の後裔である。
中国南朝からの冊封を求めている。 これが関西のヤマト王権である。

旧唐書 倭国
貞観2年 (648) 倭国王は新羅の来た使者にことづけて上表文を届けた。
旧唐書は倭国と日本国を分けて編集しており、倭国は新羅に上表文を預けて唐にあいさつした。

下関 邪馬台国  長崎県松浦市から渡海
関西 ヤマト王権 福岡県宗像市から渡海

万葉集865 松浦の
君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも
2002年頃、佐賀県浜玉町、七山村を2回訪れて役場の教育委員会から多くの郷土資料をいただいた。 実際に川を見て、この場所は記紀・万葉の松浦、玉島ではないと言える。

最近、『松浦市史』(1975年) を読んだ。 記紀・万葉の松浦は松浦市である。
筑紫(竺紫、竹斯) の場所は松浦市である。


魏志倭人伝、隋書俀国伝 ・・・ 王、家臣、官は倭名
狗奴国の王・官も倭名

宋書倭国伝 ・・・ 王、武官(司馬曹達) は大陸風の一文字名 


後漢書 地 会稽海外に東鯷人あり。

梁書 倭人は呉の太伯の後裔と自称している。

呉書 亶州に住んだ徐福の子孫は会稽に来て商売をした。
 ↓
土井ヶ浜遺跡から出土のシャコ貝製頸飾りは、南中国との密接な交流を物語る貴重な遺物で、国内には類例がない。
(山口県の古代遺跡〔T〕 古代遺跡教材化研究会 P77左)


山口県史だより  第20号 平成15年10月
北浦地方では親が子供を叱る時に 「そんな事をしよるとゴンゴチィーに連れて行かれるよ」 「ゴンゴーが出てきてかぶられるよ」 と言っていた。
北浦地方にある、恐ろしい化け物を連想させる「ゴンゴチィー」 や「ゴンゴー」 とは一体何なのでしょうか。
この地方では蒙古の兵士に由来すると理解されているようです。

※ 「北浦」 とは山口県の山陰沿岸のこと。 山口県の地元言葉

私見 「ゴンゴチィー」 は呉国の遠征軍来襲か。
孫権 Wikipedia
即位の翌年、衛温・諸葛直に1万を与え、夷州と亶州の捜査を行わせた。 夷州から数千人を連行するも、この捜査は失敗に終わり、孫権は、衛温・諸葛直を処刑した。

『徐福集団渡来と古代日本』 いき一郎 著 三一書房 1996年
P46 「万の兵が数千人しか帰らなかった」 とも読める。

「ゴンゴチィー」 から山口県の山陰沿岸が夷州か。


昔より祖禰躬ら甲冑を擐き、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。
  ↓
記紀には織田信長のような戦国武将だった天皇はいない。

隋書 倭国は百済・新羅の東南にあり。 ・・・ 山口県西部
宋書 倭国は高麗の東南大海の中にあり。 ・・・ 関西

聖徳太子の仏教の師は高句麗の僧 恵慈であり、倭と高句麗は友好的な関係だった。(栗本慎一郎)
この倭は下関にあった倭である。

好太王碑文の倭は関西のヤマト王権である。

下関市と長門市西部には古代官道が通ってない。
この "謎" が邪馬台国の場所である。


『現代に息づく 陰陽五行』 増補改訂版 稲田義行著 日本実業出版社
P54 
孝謙天皇と聖武天皇には「皇帝」 の尊号が贈られた。 中国的だ。
「宝字称徳孝謙皇帝」
「勝宝感神聖武皇帝」

古田武彦史学の会
701年(大宝1) 九州王朝から近畿王朝への易姓革命があったと見る。


古代学協会
http://kodaigaku.org/index.html
研究題目 「近畿地方における初期農耕集落形成をめぐる考古学的研究」 班
に問題提起する私の見解 「倭の五王」 は孫権の遠征軍の後裔
をここに発表した。

弥生時代の開始 ― 徐福集団の渡来定着。 夷州、亶洲
古墳時代の開始 ― 呉国の遠征軍が襲来定着

呉の遠征軍は徐福の夷州、亶州に行った。 徐福東渡と呉の遠征は場所が同じ。

古墳に関して、騎馬民族の渡来よりも中国南朝 呉国遠征軍の襲来を重視する。


関西幕府、下関朝廷
宋から授けられた倭国王の称号は百済よりも位が低い。 倭は文官でなく武官を派遣している点から「幕府」 の観がある。
私見では関西は「王朝」 というより「幕府」 だったのではないか。 「東国の強兵」 は関東ではなく関西だった。

日本書記の「呉」 は関西のヤマト幕府だった。 熊本県宇土にも分国があった。 倭の朝廷は下関にあった。 「朝廷」 という言葉は 崇神紀 60年7月14日 の時から使われている。 文庫書紀@300-12

倭の朝廷が下関市域のどこにあったかは風水で解明する。

蓬莱山
前方後円墳=蓬莱山説  岡本健一
下関市域にある前方後円墳の形をした山、丘陵を探す。


沖ノ島祭祀とは何か
倭国  邪馬台国=下関朝廷
百済(ソウル) と国交があるので朝鮮半島の内陸部も通行できる。

魏志倭人伝によれば壱岐・対馬は倭の領地
渡海  松浦市−壱岐−対馬−狗邪韓国−半島縦断 可

関西のヤマト王権
壱岐・対馬は倭(下関の王朝) の領地なので寄港できない。
渡海  宗像市・福津市−沖ノ島−全羅南道の沿岸に無断でキャンプ

全羅道に前方後円墳がある。
在日は韓国の全羅道の出身者が多い。

現代の韓国内の地域対立が古代にもあった。
倭国(下関の王朝) ・・・ ソウルの百済と国交あり
関西のヤマト王権 ・・・ 全羅道との結びつき




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日本書紀の本

2016/09/26 03:55

私が手元に所有する日本書紀の本  赤 必需品

現代語訳
中央公論社 日本書紀 上・下 井上光貞 監訳 昭和62年
現代語訳・原文・注他・校異  ネットで中古本を購入

中公クラシックス 新書 日本書紀TUV 2003年 現代語訳・注他
感想 まずこれを受験勉強のように徹底的な入念さで4、5回読み、全部覚える。 初めて読む時は忍耐がまんで3か月かかっても、何度も読み込めば3冊わずか1時間半でパパッと復習的に読み終えることができるようになる。

講談社学術文庫 日本書紀(上)(下) 現代語訳 宇治谷 孟
1988年発行 2001年第26刷
感想 訳が最悪。 捨てた方がよい本。

ニュートンプレス 新書 日本書紀(上)(中)(下)
山田宗睦 現代語訳 1992年発行 2001年第12刷
感想 人名がカタカナ書きで、人名表記が本質的に重大な点がわかってない。


訓み下し文
岩波文庫 日本書紀(一)〜(五) 1995年発行 2000年第7刷
感想 紙質が悪く、買って3年目で本が紫外線で錆茶けてボロになる。
紫外線に当たらないように扉付き本棚・蓋付き箱にしまうようにする。

訓み下し文を引用してないブログ・本の著者は現代語訳しか読んでない。
研究は訓み下し文主体で行う。 大学院の学生は40回は読んでいる。

複数の大型国語辞典・漢和辞典は必需品である。 大型辞書の新品は15000円するが中古本は5000円でネットで入手できる。 訓み下し文表記の漢字を大型辞書で調べていく。 日本書紀の漢字は蘊蓄溢れ、こだわりがあるので、その発見が歴史認識の謎解明に直結する。

岩波書店 日本古典文学大系「新装版」 日本書紀 上・下 1993年
ネットで中古本を購入

小学館 新編日本古典文学全集 日本書紀@AB
訓み下し文、現代語訳、原文、注他、索引 1998年発行 2012年第6刷
感想 編集は至り尽くせりだが、紙質が蛍光ペン対応でない。 蛍光ペンを使うとインクが紙の裏に滲むので使えない本である。 地図・注釈は関西説。 私見は倭国は下関市にありました。 風土記、三韓の各国も綾羅木川流域〜豊浦町黒井・川棚にあった。


索引書
吉川弘文館 日本書紀索引 昭和44年発行 平成6年第7刷
人名、官職名、件名、地名、神名・社寺陵墓名
感想 手頃な索引書はこの本しかないので、使用上不満はあってもこの本を買って使うしかない。


格言
石の上にも3年
最初手に取った時、旧字体でカビくさい文だから拒絶反応が起きる。
根性ある人なら半年で岩波文庫を精読できる。 次から次へと本買って読む。

たいへんなのは「文献」 を買って読むことより地方資料の収集だ。
たとえば宗像市域を調べようとすれば、ゼンリン住宅地図を買い、宗像市に数回行って図書館の郷土資料を箱いっぱいコピーして持ち帰る。 数か所の図書館を訪れ、古いコピー機を3時間立ちっぱなしで動かす。 宗像市史、津屋崎町史などはネットで中古本を購入する。 宗像市・福津市で、なんやかんや7万円くらい遣うことになる。

地方自治体で考古学の発掘をしている職員や古代史愛好家たちはミニバンにバイク・自転車を積んで全国を旅している。 20年、30年と地方の現地取材をして経験を積んだ人たちを説得させるものを見つけるには、前人未踏を拓くパイオニアと化し、神仙の「仙境」 を見つける仙人の感性が求められる。

魏志倭人伝、日本書紀、万葉集、風土記など日本の古代史は仙人である。
奈良県は遺跡は巨大だが、風水・陰陽五行や天子南面の吉祥地ではない。


仙人
仙人の感覚をはたらかせて景観を見る。
下関市
地の果てに来た感じがする御崎の淵ヶ谷は仙境!
吉母の黒嶋は前方後円墳形の岩島で、浦島太郎の蓬莱山!
竹生山の東ヶ嶽は道家の泰山で、有冨墓地東側の谷は仙境!

青山、火の山、火の見山は風水の地名であることから、四神相応・天心十道を計れば倭京は有冨の字「中村畦」 で決まり。

倭に関する文献は神仙文学である。 考古学は遺跡の大きさや金属器の出土物によって場所の階層化を組み立てているが俗物的邪道である。 各地を見て回るなら原始古代の中国哲学である風水・易経・陰陽五行を学び、景観・方位から神仙の地を見つけることが古代史の解明法として本質的だ。




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古代史に関心がある人たちを分類する

2016/09/26 03:50

文献
邪馬台国の場所、古代史の解明を文献主体でやるなら、古事記・日本書紀だけでなく、今昔物語集・日本霊異記まで読む。 記紀だけ読んでも埒があかない。万葉集漢字原文、風土記は必読。

日本書紀索引、万葉集索引、風土記索引などの索引書を購入する。
各10000円くらいか。 索引書は必需品。

大型国語辞典 2冊、大型漢和辞典 2冊
15000円 中古本8000円ぐらい

日本書紀の現代語訳は中央公論社の本が薦められる。
中央公論社 日本書紀 上下 1987年 函入り 中古本3000円 〜
この本の新書化 中公クラシックス 日本書紀TUV

古事記の現代語訳は時間がある無職で3日、学生・主婦で5日あれば読める。
日本書紀 上中下 3巻なら10日〜15日で読了できる。
訓み下し文も1冊4日〜6日 で読み終える。
「文献」 の本は1冊7日前後で読み終えることができる。

日本書紀の現代語訳は2週間で読み終えるので、1か月後には日本書紀の神名や人名をこねくり回し振り回して「日本の起源」 を叩くように書きだす。 これは誰しもかかる「はしか」 である。

漢字の表記を問題にするなら記紀は訓み下し文、万葉集は漢字原文を読まなければならない。 岩波のルビ付き訓み下し文は読みやすいし、万葉集は漢字原文のほうが読みやすいので、難儀ではない。

何色もの蛍光ペンを使えば難解な学術書も読める。 数年後読み返すために、本には色で線を引き、書き込みをめいっぱいする。 分量が多いので付箋では対処できず、その箇所を忘れたら2度と探せない。

時間、カネ、手間、アイデアがいるのは地方資料の収集・読み込みである。
1つの地域に5万円〜8万円遣って、3か月かかる。


とりくみ方、ジャンル分け
考古学  地方自治体の遺跡発掘職員 発掘調査報告書
考古学志望の学生
ttp://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/ach/study_room.html

文献史学の大学教授  専門書・学術書 12,500円+税、学会の論文

作家、歴史愛好家  書店 単行本 2,200円+税、新書・文庫 1,100円+税

床屋談義の人たち 


邪馬台国論争を行うのは「学会」 とは別の作家、歴史愛好家の人たちである。
邪馬台国は1960年代前半に浮上し、1970年代前半に大ブームとなる。
現在論争が始まった昭和40年当時から50余年経つ。
邪馬台国・古代史のブームは1974年、1984年。

『徐福集団渡来と古代日本』 いき一郎 著 三一書房 1996年 

私が所有する考古学の邪馬台国本
『邪馬台国と吉野ヶ里』 学生社 1997年
松下孝幸 など 東京新聞 吉野ヶ里取材班 編

『倭人伝の国々』 学生社 2000年
小田富士雄 編者 武末純一・渡辺貞幸 など


作家もプロ研究家であり、歴史愛好家も地道な個人研究をしている。
私見では、
邪馬台国の山師になるには10年以上、毎年5万円以上、計80万円はかかる。

床屋談義はマスコミやネットの情報を得て自説を語るが、自分で身を入れた研究はしていない。 物知り自慢の年寄りが知ってることを言ってるだけ。

文章に読点が多い者は訓み下し文を読んでいる。
話題が系図だけの人、文章に訓み下し文の引用がない者は現代語訳しか読んでない。 岩波、小学館などの訓み下し文を読んでない者は研究者ではない。

漢字は重要である。 厚さ10センチの大型漢和辞典は必需品だ。
漢字の表記を問題にしない現代語訳は使えない。

難しい漢字を手で書いて覚える。 「漢字が書ける」 は教養だ。
本を読んだときに出てきた難読漢字を方眼ノートに書いて覚える。
書いて覚えるために自分に合う筆記具を見つける。

学術書を読んでない者は参照元を記さない。 文はネットの誰かのパクリである。
1000冊の本を読んだと豪語する人がいるが学術書は1年に20冊も読めない。
学術書やルビがふられる漢字が多い本は読むのに3週間かかる。

日本書紀、万葉集、風土記等を研究する大学院の学生は40回くらい読んでいる。 素人の愛好家は4、5回くらいだから桁がちがう。


在野研究のススメvol.20 : 小室直樹
http://www.en-soph.org/archives/43685452.html
在野研究のススメvol.04 : 吉野裕子
http://www.en-soph.org/archives/33524678.html


小学生用ノート  勉強法
『安倍晴明占術大全』 藤巻一保 訳・解説 学研 2000年
この本を今年2月、amazon で中古の程度の良いものを4,000円で買ったが、今は49,800円 〜 となっている。 表紙の紙カバーをはずして文具店で売っている布カバーをつけると古本が華やぐ。

先週からこの本に出てくる用語、難読語を方眼ノートに書きなぐって覚えている。
方眼ノートは小学生が使うもので 7mm、10mm、12mm。

風水、易経、陰陽道、仏教関係の用語、人名は見たことない漢字や変な訓みのオンパレードだ。 本に出てくる用語、難読語を小学生用の方眼ノートに何度も書いて覚える。

用語、術語、人名、神名、地名、件名などを小学生ノートに書いて覚える。
手で語が書けるようになるには5年前後かかりそうだ。


『舛添要一の6ヵ国語勉強法』 舛添要一 著 講談社 1997年
ネットによれば舛添要一は高校時代、全国模試でいつも3番、4番だったという。
陸上の短距離選手(スプリンター) としてインターハイ出場もしている。
氏が「上達への近道」 という勉強法は
昔の新聞折り込み広告チラシは裏に印刷がなかった。 その紙に書いて覚える。
辞書(「現代英和辞典」) をひきまくってボロボロにした。
子供の時からの教科書、テストは捨てずに今も家にあるなど。

人が捨てるような紙でも字を書いて勉強できる。 字が書ける紙を見つけたら鬼と化して紙が真っ黒になるまで書く。 これが舛添式。 紙は真っ黒になるまで字を書いてから捨てる。 コクヨの大学ノートに書くのはダメ。 あくまで広告の裏、または藁半紙。 はさみで切っておくこともある。


私が使っている筆記具
品名 パイロット 「タイムライン」 の各種 7本所有
油性インキ、ゲルインキ(替芯を 0.7 に交換)

ソフト下敷き A4サイズ
紙を押さえる文鎮 20cm 1本 10cm 4本


BGM
時々、YouTubeで昔のジャズ




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重留銅矛は何を語るか  北九州市 文化企画課

2016/09/19 16:25

平成28年 9月17日(土)
重留遺跡出土広形銅矛 国重要文化財指定記念シンポジウム
「重留銅矛は何を語るか 〜邪馬台国の時代in北九州〜」
場所 北九州市立いのちのたび博物館  13:00〜16:30
北九州市市民文化スポーツ局 文化企画課


パネリストの1人
橿原考古学研究所共同研究員/桜井市纏向学研究センター共同研究員
もびっくりの 邪馬台国 九州説の私見を披露する。

重留銅矛を記紀神話と照合させれば
文庫書紀@120-5
乃ち国平けし時に杖けりし広矛を以て、二の神に授りて曰はく、「吾此の矛を以て、卒に功治せること有り。


常陸国風土記 信太の郡
伊川  門司区伊川 白山神社
普都の大神
 ↓
 私見
重留銅矛は布都の御魂であろう。

パネルディスカッション
「銅矛が出土した大型の住居跡は高床式倉庫ではないか」
 ↓
記紀 熊野の高倉下

マンガチックであるが、
重留銅矛は祭祀の埋納用ではなく大魔神の魔剣であり至高の武器だった。


小倉の足立山は畝火山か? ははははッ
JR 門司駅から見れば足立山は雲に覆われている。
城野・曽根側から見れば雲のない快晴だ。

門司駅〜小倉北区富野は日本海式気候
周防灘側の小倉南区は瀬戸内式気候

万葉集 畝火山の表記に「雲」 があるものがある。
13 雲根火雄
1335 雲飛山

「雲飛山」 という表記から高さ500〜700 m の山か。
畝火山の「火」 から関門海峡の烽火の山を連想する。

万葉集1047 飛火賀「山鬼」
この表記もよくわからない。


日向の橘の小戸橿原
旧事@36-3  
先代旧事本紀に「日向の橘の小戸橿原」 とある。
橿原は日向の橘の小戸と同じ場所である。
これもよくわからない。

三諸岳、三輪山
文庫書紀B44-3  菟田の墨坂神=大物主神、注七 斎戒
=文庫書紀@236-末行  天の香山の埴土、埴安
  ↓
異説 菟田の墨坂神=大物主神
「斎戒」 の共通字で示される同じ所
を採用する。

奈良県の三輪山は円錐形の単独峰である。
三諸山という表記は山々の連なりを表し、風水の龍脈がある。
私見では、三輪山は三諸山の一部分なので奈良県の山ではない。


観光
九州説 いのちの旅
井出浦  北九州市小倉南区 平尾台
北九州市の平尾台に素戔嗚尊が住民といっしょに八俣大蛇を弓矢で退治した言い伝えがある。 弓矢で射られた土井ヶ浜遺跡 124号人骨 に通じる。

井手浦 尻振り祭
ttps://www.youtube.com/watch?v=2ZCNy-7Na40

ttp://kitaqare.d.dooo.jp/tens13.htm

ttp://blogs.yahoo.co.jp/merope0310/39858365.html

井出浦の尻振り祭りはよく知られている。 毎年陰暦11月15日、回り持ちの座主が新米を刈って酒を調え正月7日に集まり、藁で作った「八俣の大蛇」 をで射る。 その後、ときの声をあげて大蛇を切り、宴会に移る。 スサノオノミコトが「八俣の大蛇」 を退治したとき、村人も射手に加わったというのが祭りの縁起で「射手裏」 の由来だという
『おもしろ地名 北九州事典 増補総集版』 1997年
P121


礫岩 つぶていわ  平戸島の南部 礫岳 287 m
ttp://www.sairosha.com/yama/tubuteiwa2.htm

逸文 日向国
文庫風土記下432
吐濃峯 日向国 庾(こゆ) 郡
  ↓
平戸島の南部
田(こた) 現 辻町、神船町、大佐志町、無代寺町


王位石  野ア島 小値賀島の東
ttp://blog.goo.ne.jp/kitadake3193masa/e/036f5a29d0d12b771f1ceb1601d7c088

ttp://blog.livedoor.jp/ii_wanco/archives/806397.html




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松浦市  日向 近江

2016/09/19 15:45

景行天皇が九州遠征した時の行宮 伝説地
平戸島の南端 野子町の宮ノ浦
松浦市 志佐川の下流

日向の場所は松浦市の中心街
天孫降臨の高千穂宮は不老山か

星鹿町の地名は星の神 香香背男 文庫書紀@120-9、136-6
星鹿は防人がいた場所と伝えられる。 黒曜石を産する。
元寇の戦いで、御厨半島の星鹿は鷹島に渡る日本軍の拠点だった。

伊都国の一大率は星鹿町の防人だろう。
防人=ア守り (三省堂国語辞典、広辞苑)

画期的な発見!
天津甕星、天香香背男の地は松浦市 星鹿町 である。

鷹島  日本山 (75.4 m)
壱岐→鷹島→松浦市 志佐町 は主要な航路だった。

浦免に住吉宮があるので、浦島太郎は松浦市浦免の人か。

淀姫 御厨の星鹿に沙加羅龍王の干満二珠、龍宮伝説がある。

淀姫神社詳細の項
ttp://yodohimejinja.com/details-of-a-shrine


長崎県内で滋賀県の大津付近と同じ地名がある所
小値賀島
松浦市 柏アは膳ア

小値賀島の笛吹は松浦市笛吹の住民が移り住んだという。
松浦市域は淡海国の地名である。

継体紀 文庫書紀B208-4
是歳、毛野臣、召されて対馬に到りて、疾に逢ひて死ぬ。
送葬るときに、河の尋に、近江に入る。
其の妻歌して曰はく、
枚方ゆ 笛吹き上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る


途中、関西まで長いのに山陰沿岸や瀬戸内海の行く記述がない。
近江は朝鮮と一衣帯水の位置にあり、北部九州または山口県沿岸にある。
  ↓
文庫書紀B208-4 の場所は松浦市 志佐川の上流 笛吹である。

万葉集3238
相坂  松浦市 御厨町 相坂免


『松浦市史』 1975年
P50
志佐  贈唹の君 多利 志佐申し言う
御厨  伊勢の御供所即ち厨物を差上げる御厨
調川  租庸調の調の皮

文庫書紀@134-9
伊勢の狭長田の五十鈴の川上 ・・・ 御厨町の竜尾川


淀姫墓郭
ttp://yodohimejinja.com/details-of-a-shrine#bokaku
  ↓
「鉄片は双刃の剣であろう」


P66
宮日のお潮とりの場所に「浮床」 と称する所があった由、潮満ちくれば浮き、干潮時は土地が落ちついていたそうである。 前の住吉神社の地らしく、住吉神社は現在は移転して、西肥バス営業所になっている。
この浮床よりが出土し、辻尾(松浦高校) の所に鉾神として祭った由、後世道祖神となっていた。

  ↓
天孫降臨の「浮渚在平処」 文庫書紀@122-2


P485
高野免は昔は鷹狩をした野、鷹野であった。
万葉集 大伴家持 越中国  鷹狩

魚固島 おごの島  (星鹿町)
魚がたくさん固まっている島だった。
「おのころ島」 ではないかという人もいる。


文献で淤能碁呂島に関する記述は
古事記 仁徳記 吉備の黒日売
歌謡
仁徳天皇が難波の埼に立って眺めると
粟島 淤能碁呂島、檳榔の島も見ゆ

『古代氏文集』 山川出版社
新撰亀相記 P206〜207
415 此の三つの島は艮より坤に連なれり。
  ↓
鷹島の西にある魚固島に合致する。


肥前風土記 海松橿媛  風土記333-7
通説では古代の賀周駅(かすのえき) は唐津市 見借(みるかし) とされる。
私見
肥前風土記 海松橿媛の「海松」 は浅海の岩場の海藻であるが唐津市見借は内陸の山奥地にある。 唐津市見借は「海松橿媛」 の名に適さない。

大屋田子 日下部君等が祖 ・・・ 浦島太郎と同じ



「サイエンス」 を自認する考古学 弥生時代早期の遺跡
佐賀県唐津市 菜畑遺跡
長崎県平戸市 田平町里免 里田原遺跡
に注目する。

九州大学大学院 人文科学研究院 考古学研究室
ttp://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/kennkyusitukatudou.htm
佐賀県 東松浦郡呼子町 大友遺跡
ttp://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/ootomosite.htm

素人流儀の私
地名と民話の観点から松浦市が重要である。




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土井ヶ浜遺跡  124号人骨は英雄か? 術師(シャーマン) か? 

2016/09/19 14:02

『郷土資料事典 長崎県』 人文社 1998年
P124下 日本にもいたアマゾネス(女戦士)
  根獅子の竹久保箱式石棺墓は、弥生文化遺産として知られ、貝輪17個・骨銛2本・須恵式土器1個・人骨4体を出土しているが、なかでも話題をまいたのが女人骨である。
  というのも、頭のてっぺん近くに銅鏃片が射込まれていたからで、銅鏃は、その時代としては最先端をいく武器である。 兵隊たちが使っていたのは主として石鏃ということから、この女性は兵隊同士の戦いではなく、大将同士の射ち合いで命を落としたと思われ、したがって、この女性の軍隊における地位はかなり高かったのではないかと考えられるわけである。
  このことから、戦いに女同士が参加したと考えられるのは早計だが、戦いのシンボルとして、たとえば有名な卑弥呼のような、祭祀的首長であったのではないかということは十分考えられることである。
  また、鏃の突きささったのが胸や背中ではなく、頭のてっぺんであることも奇妙である。 これが何を意味するのかなどと考えながら、頭のなかで古代絵巻を想像するのも楽しい。



山口県 土井ヶ浜人類学ミュージアム
124号人骨は英雄か? 術師(シャーマン) か?
長崎県平戸市 根獅子の人骨と似て、頭に鉄鏃が射込まれている。

私見
記紀神話と照合させれば土井ヶ浜124号人骨は八俣大蛇か。 ミュージアム裏門を流れる川の名は沼川だから古事記 高志国の沼河比売の地か。

「術」 の本
『術の思想』 医・長生・呪・交霊・風水
三浦國雄 編 風響社 2013年


私見
倭人=西北九州型弥生人 説
弥生人 形質人類学による分類
北部九州・山口 ・・・ 中国 山東省の人骨に似る
西北九州 ・・・ 縄文人がそのまま弥生人になった
南九州・南西諸島 ・・・ ベトナム、カンボジアなどのインドシナ系?

北部九州・山口は中国人の顔だち
鹿児島県の南端は侏儒
縄文人は日本独特の人種である。

縄文人の容貌は日本独特である。
中国人が人種的に区別した「倭人」 は縄文人である。
中国の古い文献に登場する「倭」 は縄文系である長崎県の弥生人である。

「倭」 の位置=長崎県
倭は「縄文人がそのまま弥生人になった」 西北九州 弥生人であるため、基本的文化思考は縄文的である。 日ユ同祖論は間違いである。 巨大建造物をこれみよがしに造るシュメール文明に影響されてないため、倭人の遺跡はちょびちょびの物しか出ない。


松野連
”中国が提唱した日本誕生伝説” が『凄まじくダメな雰囲気』 を醸し出している模様。 年代的にも辻褄が合わない
ttp://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50487588.html
  ↓
コメント欄
15. 名無しさん
2016年09月20日 00:58
徐福がやって来たという話は全国にある、と言うだけでその痕跡もなく、史書を読めば誰でもそんな話をでっち上げられる話よりも、松野連が呉王夫差の末裔って話の方が、熊襲にはなまずを祀っていた宗教的共通性があるだけ、信憑性がある。

私見
松野連 ― 民進党 松野頼久 熊本県鹿本郡菊鹿村 (現・山鹿市)
『熊襲は列島を席巻していた』 内倉武久 著 ミネルヴァ書房 2013年
P271〜274

なまず ・・・ 東鯷人



土井ヶ浜弥生人の特徴
土井ヶ浜弥生人は土民との混血がない100%渡来系である。
長崎の「西北九州タイプ」 の弥生人骨が1体出土している。

吉野ヶ里遺跡も在来の人たちと混血してない。 ただし土井ヶ浜と吉野ヶ里では人骨が少し違う。

渡来は男だけでなく女も来て、土民の女との混血はない。

長崎大学 歯学部 真鍋義孝の研究
歯の形態学的特徴から、
北部九州弥生人の歯は黄河流域、朝鮮と類似する。
土井ヶ浜弥生人の歯はモンゴル、バイカルと類似する。
ただし満州民の歯とは異なる。 中国周辺(北部) の集団である。

私見 福岡市金隈の弥生人は漢人。 土井ヶ浜弥生人は鮮卑か。
秦の始皇帝も北方の匈奴、青い目の月氏の系統といわれる。

土井ヶ浜では子供は大事にされていた。熊本大学 木下尚子
しかしの子供の墓が2割程度しかなく高齢の人骨が多い。

私見では、土井ヶ浜遺跡の再葬墓・集骨墓は中国流の風水か。

土井ヶ浜遺跡は土坑墓、配石墓が多く、箱式石棺墓は少ない。
土井ヶ浜遺跡より川棚の中ノ浜遺跡の方がやや古い。中ノ浜遺跡には支石墓があり、箱式石棺が4割。

土井ヶ浜の貝輪は作り方が中国的であり、北部九州のものとは異なる。

土井ヶ浜遺跡の珍品としてシャコ貝製頸飾りがあり、南中国との密接な交流を物語る貴重な遺物で、国内には類例がない。

土井ヶ浜遺跡の東700 m に片瀬遺跡があり、土井ヶ浜遺跡と同時代の水田跡が発見された。 土井ヶ浜の生産域・居住域・墓域が揃った。

参考
日本人と弥生人 松下孝幸 著 祥伝社 平成6年
山口県の古代遺跡〔T〕 集落・墳墓編  古代遺跡教材化研究会 平成7年
土井ヶ浜シンポジウム 「響灘の弥生時代」
わがまち .サイト 〜豊北の遺跡最前線!〜 企画展 展示図録 2007年


持衰説
矢を浴びた英雄は持衰かシャーマン?
http://lunabura.exblog.jp/20387364/

持衰については
文庫風土記下432
逸文 日向国 吐濃峯


土井ヶ浜遺跡 124号人骨の再検討
私見 術師=徐福=八俣大蛇

中国人は食人種である。
渡来して土井ヶ浜に定住した徐福は原住民の若い娘を奪って食人する八俣大蛇だった。 中国人は人食い人種なので土井ヶ浜では子供を食べていた。 聖人孔子も赤ちゃんを食べていた。




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投馬国  熊本県 岱明町

2016/09/15 03:56

伊都国  佐世保市 相浦

投馬国
玉名市 岱明町 野口 字大原 大原箱式石棺群
http://flower-k.at.webry.info/201210/article_57.html

大原箱式石棺群
http://kofunoheya.blog.fc2.com/blog-entry-2811.html


柳川市から筑後川の川上り 10日
浮羽町あるいは夜須町で川舟を降りる。 陸行1か月で、邪馬台国に到着。

吾跡川楊
http://44051510.at.webry.info/201006/article_37.html


角川日本地名大辞典 長崎県
P1133左 松浦市 〔中世〕 宇野御厨
寛治3年(1089) に贄駈士の松永法師という者が、観世音寺領の筑前国上座郡杷岐庄内の畠地子等を贄人源順の先祖相伝の所領であるとして押妨する事件が起きている (東南院文書)。

  ↓
朝倉市ホームページ  杷木神籠石
ttp://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297731982594/index.html




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徐福の薬草

2016/09/13 19:54

姫路などから竹取翁博物館に訪問者あり 邪馬台国や徐福に関心を示された 2014.4.14
http://blogs.yahoo.co.jp/koiiyk/31302118.html
  ↓
中国の古地図 日本国と倭が別に描かれている!

下関 遺跡
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/nagata_ishimidou.html


記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626

日本列島は龍である(その2)
http://lucky2zacky.jugem.jp/?cid=18


徐福が探した薬草は何か
強精剤 「海狗腎」 を手にして家康は天下取りに成功した
http://kenkoubook.seesaa.net/article/389166374.html

ネットで検索せよ。 【 徐福 明日葉 】

東京都八丈島の巻
ttp://touyoko-ensen.com/mini%E2%80%90info/cook/ht-txt/793urasi-2.html
当店のあしたば製品はこちらからどうぞ
ttp://www.asakusa-kagetudo.com/modules/pico/index.php?content_id=9

明日葉(あしたば) は東京都 八丈島の原産である。
文献では唐人が値嘉島に来て香薬を採集していた記述がある。

『長崎県の地名』 日本歴史地名大系 平凡社
値嘉島 
P677中 左端
唐人らはまずこの島に寄って香薬を多く採集し、海浜に多くみられる奇石を鍛練して銀を得たり、磨いて玉に似せるために唐人がその石を好んで取りに来ていたらしい (「三代実録」 貞観18年3月9日条)
  ↓
 私見
論衡など 倭人、鬯艸を貢す。 ※暢草とも記される。

徐福が薬草を得た場所は
平戸島の南部、宇久島、小値賀島、五島、佐世保市 相浦 であろう。


福草、三枝 さきくさ
福草部
文庫書紀B130-7 補注15-8 P368下
サキクサが何を指すか諸説(山百合・朱草・葛草・薺苨等) あって不明。

文庫書紀D193上 注20

万葉集9041895 三枝(さきくさ)

萬葉集索引 新 日本古典文学大系 別巻  岩波書店
枕詞索引 P516左 「さきくさの」

『万葉植物文化誌』 木下武司 著  帝京大学 薬学部教授
三枝はイカリソウであるとする。


私見
福草、山百合 説
山百合といえば、古事記の 
七媛女 高佐士野 伊須気余理比売 大久米命 黥ける利 佐韋
の箇所と繋がる。

ここにその伊須気余理比売の命の家は、狭井河の上にあり。 天皇、その伊須気余理比売のもとに幸行でまして、一宿御寝したまひき。
  ↓
雄略紀の童女君と似る出来事である。  文庫書紀B24-末行
登場人物の名に「目」 がつく。
春日和珥臣深
物部大連


学研 新漢和大字典 (普及版) 2013年
 ゴン
八卦、六十四卦の一つ。
うしとら、東北
解字 会字
「目+ヒ(小刀、ナイフ)」 で目のまわりにいつまでもとれない入れ墨をすること


水野杏紀 著
『東アジアの宇宙論 易、風水、暦、養生、処世』  講談社選書メチエ
によれば、「艮」 が表すものは
止、山、少男、狗、手、立春、八、
東北 万物の終りの成す所にして始めを成す所、循環の境界域

日本の古代史を徐福で解明するなら、徐福は方士だったので陰陽五行・風水を勉強しておく。


ユダヤ王国、ユリの花のコイン
http://www.parisii.jp/diary-detail/53


お薦めの本
ユダヤ、シュメール、騎馬民族に関する本
栗本慎一郎 著
『ゆがめられた地球文明の歴史』
『栗本慎一郎の全世界史』

徐福に関する本
いき一郎 著 『徐福集団渡来と古代日本』


雲に飛ぶ仙薬
万葉集847848
山の高い所、雲がかかる場所で得られる物か
雲飛山 訓み うねびやま のことか

竹取物語の考察 5
http://44051510.at.webry.info/201602/article_6.html




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古代史シンポジウム IN しものせき 2016

2016/09/11 01:57

武末純一  福岡大学
縄文人は基本的に溝を掘らないが、弥生人は盛んに溝を掘って自然と人間を区別する ・・・

私見
下関の遺跡に縄文時代の溝がある。
潮待貝塚 縄文中期〜後期
秋根遺跡の大溝(東西方向) 縄文〜弥生 場所 勝山支所

秋根遺跡の大溝は風水の朱雀であろう。
明堂 秋根遺跡
主山・玄武 石原の山か
艮(方位で東北) 青山
白虎 秋根神社の小丘
青龍 勝山中学の山
朱雀 秋根遺跡の大溝、砂子多川
案山 一の宮住吉の山


『勝山あれこれ』 郷土史本
P14
北田(きたんだ) の泉
秋根の北田という所に大旱魃でも涸れない泉があった。


M田竜彦  鳥取県埋蔵文化財センター
鳥取市 本高弓ノ木遺跡(4区)
有富川の西岸では、鳥取平野でも比較的早い時期に水稲耕作が開始されていると考えられる。

私見
「有富」 という地名 「ある」 の意味 
文庫書紀B131 注1
荒樔(あらす) は、産(あ)るの他動詞。 神の誕生の意


根獅子  平戸
【長崎】弥生時代の女性とみられる人骨見つかる…平戸・根獅子遺跡に「配石墓」
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/48161731.html
【長崎】弥生時代の女性とみられる人骨見つかる…平戸・根獅子遺跡に「配石墓」
ameblo.jp/f4fhgww8/entry-12184038507.html

日本の人骨発見史3.根獅子遺跡(弥生時代):頭部に傷のある女性人骨
http://blog.goo.ne.jp/garfsn1958/e/975fd9d1a50fca280e90ee1b22a0594f

平戸島南部の原始古代
http://44051510.at.webry.info/201102/article_85.html
平湖島  平壺島
http://44051510.at.webry.info/201102/article_84.html




『豊浦町史』  昭和54年12月
P61-11行目  田島遺跡の発掘
完全に破壊された粘土ばかりのピットから米とが検出された。 土器に収蔵されていたと思うが破壊がひどく、その状況から明らかにすることができなかった。 破壊されたピット群の底部から得られた土器は弥生時代前期末か、せいぜい中期とみられる。 花崗岩が風化した層でできている田島台地には麦作が弥生前期末には行われていた。 稲作は周囲の無田の低湿地で行なわれていたとみるよりほかなかろう、といわれている。


『山口県地名考』(高橋文雄) 昭和53年
P128
佐波郡徳地町の「小古祖」 の記述で、「コソ」 は呉国王城の名か、とある。
麦の古語という説もある。

下関市吉永に小字「小祖」 がある。


弥生時代早期
私見
弥生時代の開始年代は徐福の渡来からである。 B.C.219 〜
下関市武久浜 半両銭が出土

「長門 赤関 徐福祠」 と書かれた中国の古地図がある。

『地図は語る モンゴル帝国が生んだ世界図』 宮紀子 著
日本経済新聞出版社  2007年 2800円+税

口絵7 右端  徐福祠 長門 赤関  「広輪疆理図」
口絵8 右端  迎江 徐福相 長門  「東南海夷図・西南海夷図」
P69 図  「声教広被図」

P2
京都駅のすぐそば、龍谷大学大宮校の附属図書館に、二十世紀初頭より世界中の注目をあつめてきた一枚の地図が収蔵されている。 題して「混一疆理歴代国都之図」。

龍谷大学 日本史学専攻
ttp://www.let.ryukoku.ac.jp/faculty_info/country.html




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東夷 − 暘谷 音楽 皮服

2016/09/05 02:02

神武天皇は実在した
文庫書紀B202-4  継体紀
文庫書紀D102-12  天武紀

壬申の乱で「神日本磐余彦天皇の陵」 が出てくる。


膏腴
隋書俀国伝 土地は膏腴にして

文庫書紀B202-12 土地膏腴えて
文庫書紀B216-6 膏腴えたる雌雉田

常陸国風土記 総記 風土記357-4 物産の膏腴くになり


東夷
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku8/izenwa1.html

暘谷 ・・・ 隋書俀国伝 「日出ずる処の天子」
燕 ・・・ 土井ヶ浜弥生人か

暘谷を「東の果てにあって朝日が昇る地」 と見て、茨城県の鹿島神宮に比定する人もいる。
暘谷について書かれた本としては、
『「日本」 国はいつできたか 改訂版』 大和岩雄 著 大和書房  P87

蓋国
@考 土井ヶ浜の小字「釡蓋」(往古は「亀蓋」)
A考 蓋井島

東夷の音楽 弥生の土笛(陶塤)


[PDF] 資料
xufu.sakura.ne.jp/2015-7ronbun-maeda.pdf  の P8
志賀島出土の金印に根津日子命

陸国風土記 総記 風土記357-5 古の人、世の国と云へるは

万葉集で「常」 の字
 
3236 

1682 之倍尓 夏冬往哉  扇不放 山住人
  ↓
『尚書』 の 島夷、皮服す。

下関市豊田町の矢田遺跡(弥生前期 B.C.150年頃) から鞣(なめし)革用石器が出土している。
下関市 豊田町矢田は弥生前期では革の大産地だった。


本を購入
『倭人伝を徹底して読む』 古田武彦 著 ミネルヴァ書房
『邪馬一国への道票』 古田武彦 著 ミネルヴァ書房


長崎県か
古之  平戸島の南部
根獅子は慶長国絵図では禰子古村

古田(こた) 現 辻町、神船町、大佐志町、無代寺町
  ↓
万葉集の「古之」 こしの国

山海経 海外東経 の最初、長差丘は平戸島 南西部の佐志・志々伎か。
野子町の西側、高島の海岸で瑪瑙が拾える。
長差丘は佐世保だろうか。


越中国  佐世保市 相浦川
万葉集3881 大野路
この場所は佐世保市 大野町である。
松原町の淀姫神社(祭神 豊玉姫命) のヤモード神事は山人、山の神

万葉集3884 皮服 
        ↓
『尚書』 島夷、皮服す。

佐世保市 下本山町の四反田遺跡、門前遺跡は拠点集落だった。
万葉集の越中国は佐世保市相浦川流域である。

佐世保市の箱式石棺は下関市、宗像市と同じ。
長崎市、大村市の箱式石棺は短い。

台与が献上した大量の真珠は佐世保市 宮津町、大村湾、値賀島、五島の産であろう。


日向 高千穂
万葉集38813884 の「越中国歌四首」 は竺紫日向高千穂を想起させる。
佐世保市の箱式石棺墓は下関市、宗像市と形が同じ。

竺紫日向高千穂宮は佐世保市の相浦と考えられる。
大潟の高岳 ・・・ 竹嶋
高島町の宮ノ本遺跡 ・・・ 山幸彦が訪れた海神(豊玉彦) の宮
  ↓
北海道 有珠モシリ遺跡の貝輪

佐世保市 大潟 では水銀山があり、小字「水ノ浦」 は水江浦島子か。
平戸島の南端、小田町の船越に海亀信仰がある。

佐世保市には洞窟遺跡が25か所もある。

魏志倭人伝の伊都国は佐世保市 相浦川下流か。


(参照したサイト)
原始時代の佐世保人
http://www.lifesasebo.com/99view/supesyaru/special/142/special142.html
佐世保 高島 宮の本遺跡: 仮称リアス式
http://gownagownaguinkujira.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-f1a0.html

長崎県の遺跡大辞典
四反田遺跡
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/30

門前遺跡(もんぜんいせき) 佐世保市愛宕町・中里町
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/35

宮の本遺跡
ttp://www.pref.nagasaki.jp/jiten/index.php/view/29


相浦水銀
佐世保市 大潟町 相ノ浦水銀山についての記録は江戸時代 弘化3年(1846) からであり、それ以前の記録、言い伝えは佐世保にはない。

松浦市の不老山に徐福伝説があり相浦水銀の言い伝えがある。

松浦市 不老山の解説看板 より
紀元前3世紀 中国の秦の始皇帝の命を受け、徐福が不老不死の薬を求めて、この山に登ったという伝説があります。 しばらくここにとどまり不老不死の薬を探したことから、この山を不老山と言うようになりました。
日本ではただ1カ所 佐世保相浦白玉山で産出した自然水銀をもとに、この地で仙丹(不老不死の薬) を作ることに成功したので、それを中国に送り王侯・貴族の人々に珍重されたと言うことです。
はじめ、欽明天皇24年(563) 山頂に不老権現を祀りその後、大宝2年(702) 徐福の教えを修得した「役小角」(えんのおつの) が徐福をあとを慕って不老山に来ました。 山頂でシメを張り 紫燈護摩の法を修し、熊野権現を祀りました。 その時の座前石( 1 m ) と思われる石が伝わっています。
現在、里免にある寿昌寺は、はじめここに創建されたようです。

松浦市・松浦市教育委員会・松浦市観光協会


松浦市
今福町「中ノ瀬」 に渡来系の住居跡か

星鹿町 星の神 香香背男 文庫書紀@120-9、136-6
龍尾川という川の名は興味深い。 草薙剣は八岐大蛇の尾から出た。

松浦市の民話・伝説
http://44051510.at.webry.info/201102/article_38.html

鷹島  日本山 (75.4 m)




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