邪馬台国 下関

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zoom RSS 松浦市  日向 近江

<<   作成日時 : 2016/09/19 15:45   >>

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景行天皇が九州遠征した時の行宮 伝説地
平戸島の南端 野子町の宮ノ浦
松浦市 志佐川の下流

日向の場所は松浦市の中心街
天孫降臨の高千穂宮は不老山か

星鹿町の地名は星の神 香香背男 文庫書紀@120-9、136-6
星鹿は防人がいた場所と伝えられる。 黒曜石を産する。
元寇の戦いで、御厨半島の星鹿は鷹島に渡る日本軍の拠点だった。

伊都国の一大率は星鹿町の防人だろう。
防人=ア守り (三省堂国語辞典、広辞苑)

画期的な発見!
天津甕星、天香香背男の地は松浦市 星鹿町 である。

鷹島  日本山 (75.4 m)
壱岐→鷹島→松浦市 志佐町 は主要な航路だった。

浦免に住吉宮があるので、浦島太郎は松浦市浦免の人か。

淀姫 御厨の星鹿に沙加羅龍王の干満二珠、龍宮伝説がある。

淀姫神社詳細の項
ttp://yodohimejinja.com/details-of-a-shrine


長崎県内で滋賀県の大津付近と同じ地名がある所
小値賀島
松浦市 柏アは膳ア

小値賀島の笛吹は松浦市笛吹の住民が移り住んだという。
松浦市域は淡海国の地名である。

継体紀 文庫書紀B208-4
是歳、毛野臣、召されて対馬に到りて、疾に逢ひて死ぬ。
送葬るときに、河の尋に、近江に入る。
其の妻歌して曰はく、
枚方ゆ 笛吹き上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る


途中、関西まで長いのに山陰沿岸や瀬戸内海の行く記述がない。
近江は朝鮮と一衣帯水の位置にあり、北部九州または山口県沿岸にある。
  ↓
文庫書紀B208-4 の場所は松浦市 志佐川の上流 笛吹である。

万葉集3238
相坂  松浦市 御厨町 相坂免


『松浦市史』 1975年
P50
志佐  贈唹の君 多利 志佐申し言う
御厨  伊勢の御供所即ち厨物を差上げる御厨
調川  租庸調の調の皮

文庫書紀@134-9
伊勢の狭長田の五十鈴の川上 ・・・ 御厨町の竜尾川


淀姫墓郭
ttp://yodohimejinja.com/details-of-a-shrine#bokaku
  ↓
「鉄片は双刃の剣であろう」


P66
宮日のお潮とりの場所に「浮床」 と称する所があった由、潮満ちくれば浮き、干潮時は土地が落ちついていたそうである。 前の住吉神社の地らしく、住吉神社は現在は移転して、西肥バス営業所になっている。
この浮床よりが出土し、辻尾(松浦高校) の所に鉾神として祭った由、後世道祖神となっていた。

  ↓
天孫降臨の「浮渚在平処」 文庫書紀@122-2


P485
高野免は昔は鷹狩をした野、鷹野であった。
万葉集 大伴家持 越中国  鷹狩

魚固島 おごの島  (星鹿町)
魚がたくさん固まっている島だった。
「おのころ島」 ではないかという人もいる。


文献で淤能碁呂島に関する記述は
古事記 仁徳記 吉備の黒日売
歌謡
仁徳天皇が難波の埼に立って眺めると
粟島 淤能碁呂島、檳榔の島も見ゆ

『古代氏文集』 山川出版社
新撰亀相記 P206〜207
415 此の三つの島は艮より坤に連なれり。
  ↓
鷹島の西にある魚固島に合致する。


肥前風土記 海松橿媛  風土記333-7
通説では古代の賀周駅(かすのえき) は唐津市 見借(みるかし) とされる。
私見
肥前風土記 海松橿媛の「海松」 は浅海の岩場の海藻であるが唐津市見借は内陸の山奥地にある。 唐津市見借は「海松橿媛」 の名に適さない。

大屋田子 日下部君等が祖 ・・・ 浦島太郎と同じ



「サイエンス」 を自認する考古学 弥生時代早期の遺跡
佐賀県唐津市 菜畑遺跡
長崎県平戸市 田平町里免 里田原遺跡
に注目する。

九州大学大学院 人文科学研究院 考古学研究室
ttp://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/kennkyusitukatudou.htm
佐賀県 東松浦郡呼子町 大友遺跡
ttp://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/ootomosite.htm

素人流儀の私
地名と民話の観点から松浦市が重要である。




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