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zoom RSS 土井ヶ浜遺跡  124号人骨は英雄か? 術師(シャーマン) か? 

<<   作成日時 : 2016/09/19 14:02   >>

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『郷土資料事典 長崎県』 人文社 1998年
P124下 日本にもいたアマゾネス(女戦士)
  根獅子の竹久保箱式石棺墓は、弥生文化遺産として知られ、貝輪17個・骨銛2本・須恵式土器1個・人骨4体を出土しているが、なかでも話題をまいたのが女人骨である。
  というのも、頭のてっぺん近くに銅鏃片が射込まれていたからで、銅鏃は、その時代としては最先端をいく武器である。 兵隊たちが使っていたのは主として石鏃ということから、この女性は兵隊同士の戦いではなく、大将同士の射ち合いで命を落としたと思われ、したがって、この女性の軍隊における地位はかなり高かったのではないかと考えられるわけである。
  このことから、戦いに女同士が参加したと考えられるのは早計だが、戦いのシンボルとして、たとえば有名な卑弥呼のような、祭祀的首長であったのではないかということは十分考えられることである。
  また、鏃の突きささったのが胸や背中ではなく、頭のてっぺんであることも奇妙である。 これが何を意味するのかなどと考えながら、頭のなかで古代絵巻を想像するのも楽しい。



山口県 土井ヶ浜人類学ミュージアム
124号人骨は英雄か? 術師(シャーマン) か?
長崎県平戸市 根獅子の人骨と似て、頭に鉄鏃が射込まれている。

私見
記紀神話と照合させれば土井ヶ浜124号人骨は八俣大蛇か。 ミュージアム裏門を流れる川の名は沼川だから古事記 高志国の沼河比売の地か。

「術」 の本
『術の思想』 医・長生・呪・交霊・風水
三浦國雄 編 風響社 2013年


私見
倭人=西北九州型弥生人 説
弥生人 形質人類学による分類
北部九州・山口 ・・・ 中国 山東省の人骨に似る
西北九州 ・・・ 縄文人がそのまま弥生人になった
南九州・南西諸島 ・・・ ベトナム、カンボジアなどのインドシナ系?

北部九州・山口は中国人の顔だち
鹿児島県の南端は侏儒
縄文人は日本独特の人種である。

縄文人の容貌は日本独特である。
中国人が人種的に区別した「倭人」 は縄文人である。
中国の古い文献に登場する「倭」 は縄文系である長崎県の弥生人である。

「倭」 の位置=長崎県
倭は「縄文人がそのまま弥生人になった」 西北九州 弥生人であるため、基本的文化思考は縄文的である。 日ユ同祖論は間違いである。 巨大建造物をこれみよがしに造るシュメール文明に影響されてないため、倭人の遺跡はちょびちょびの物しか出ない。


松野連
”中国が提唱した日本誕生伝説” が『凄まじくダメな雰囲気』 を醸し出している模様。 年代的にも辻褄が合わない
ttp://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50487588.html
  ↓
コメント欄
15. 名無しさん
2016年09月20日 00:58
徐福がやって来たという話は全国にある、と言うだけでその痕跡もなく、史書を読めば誰でもそんな話をでっち上げられる話よりも、松野連が呉王夫差の末裔って話の方が、熊襲にはなまずを祀っていた宗教的共通性があるだけ、信憑性がある。

私見
松野連 ― 民進党 松野頼久 熊本県鹿本郡菊鹿村 (現・山鹿市)
『熊襲は列島を席巻していた』 内倉武久 著 ミネルヴァ書房 2013年
P271〜274

なまず ・・・ 東鯷人



土井ヶ浜弥生人の特徴
土井ヶ浜弥生人は土民との混血がない100%渡来系である。
長崎の「西北九州タイプ」 の弥生人骨が1体出土している。

吉野ヶ里遺跡も在来の人たちと混血してない。 ただし土井ヶ浜と吉野ヶ里では人骨が少し違う。

渡来は男だけでなく女も来て、土民の女との混血はない。

長崎大学 歯学部 真鍋義孝の研究
歯の形態学的特徴から、
北部九州弥生人の歯は黄河流域、朝鮮と類似する。
土井ヶ浜弥生人の歯はモンゴル、バイカルと類似する。
ただし満州民の歯とは異なる。 中国周辺(北部) の集団である。

私見 福岡市金隈の弥生人は漢人。 土井ヶ浜弥生人は鮮卑か。
秦の始皇帝も北方の匈奴、青い目の月氏の系統といわれる。

土井ヶ浜では子供は大事にされていた。熊本大学 木下尚子
しかしの子供の墓が2割程度しかなく高齢の人骨が多い。

私見では、土井ヶ浜遺跡の再葬墓・集骨墓は中国流の風水か。

土井ヶ浜遺跡は土坑墓、配石墓が多く、箱式石棺墓は少ない。
土井ヶ浜遺跡より川棚の中ノ浜遺跡の方がやや古い。中ノ浜遺跡には支石墓があり、箱式石棺が4割。

土井ヶ浜の貝輪は作り方が中国的であり、北部九州のものとは異なる。

土井ヶ浜遺跡の珍品としてシャコ貝製頸飾りがあり、南中国との密接な交流を物語る貴重な遺物で、国内には類例がない。

土井ヶ浜遺跡の東700 m に片瀬遺跡があり、土井ヶ浜遺跡と同時代の水田跡が発見された。 土井ヶ浜の生産域・居住域・墓域が揃った。

参考
日本人と弥生人 松下孝幸 著 祥伝社 平成6年
山口県の古代遺跡〔T〕 集落・墳墓編  古代遺跡教材化研究会 平成7年
土井ヶ浜シンポジウム 「響灘の弥生時代」
わがまち .サイト 〜豊北の遺跡最前線!〜 企画展 展示図録 2007年


持衰説
矢を浴びた英雄は持衰かシャーマン?
http://lunabura.exblog.jp/20387364/

持衰については
文庫風土記下432
逸文 日向国 吐濃峯


土井ヶ浜遺跡 124号人骨の再検討
私見 術師=徐福=八俣大蛇

中国人は食人種である。
渡来して土井ヶ浜に定住した徐福は原住民の若い娘を奪って食人する八俣大蛇だった。 中国人は人食い人種なので土井ヶ浜では子供を食べていた。 聖人孔子も赤ちゃんを食べていた。




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