邪馬台国 下関

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zoom RSS 住吉忌宮 北樹社

<<   作成日時 : 2014/11/19 02:50   >>

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『ふるさと下関 ふるさと勝山』 木村勘一郎 著  平成22年
P61〜63
『忌宮』 への一試論

『古代氏文集』 山川出版社
住吉大社神代記
P6 18行
長門国豊浦郡住吉忌宮。 〔一前〕

P17 139行
十四代にあたりたまふ足仲彦天皇、穴門豊浦宮御宇めたまふ。
〔長門国豊浦郡に在る北樹社なり。 今、住吉斎宮と謂ふ。〕

文庫書紀A136‐最後
斎宮小山田邑に造らしむ。


万葉集 小山田
776  女郎
3000

3492  小山田の池は「濁り池」 か
バス停 新駅南口・一の宮郷下公会堂がある所
一の宮本町1丁目-6-14 に「濁り池」 跡地の解説看板が立つ。

楠乃川沿いに小字「小山田」 があり、小山田橋が架かる。
ゼンリン地図を参照せよ


女郎は村勘一郎氏の家の前にあった熊野権現の杉・松の大木である。
驚くべき事であるが「国」「紀伊国」 とは村勘一郎さんの家である。 だから小山田の場所は前勝谷の消防機庫がある小丘である。 小字「土器山」「下松」「出口」。 古墳が3つあった。 ここが小山田なら穴門豊浦宮もここにあったことになる。

住吉斎宮、北社も前勝谷の消防機庫にあった熊野神社。 あるいは勝谷神社である。


大阪住吉  姫神宮
宇佐八幡宮  比売神  
この姫神は熊野の伊邪那美命(伊弉冉尊) である。




お忌岩  前勝谷 消防機庫横の藪にある (道横にあったのを移転)
矛盾するが、
伊邪那美命の紀伊国熊野の黄泉 = 高天原 説
香具山はこの消防機庫がある小丘
高木神の「高木」 は熊野神社にあった杉・松の大木

万葉集の高松=高円 説あり。
熊野神社には松の大木があった。

万葉集3236
山代の管木の原 ・・・ 石原コスパの靴屋前から出土した多数の流木
血速旧 于遅の渡 ・・・ 小字「伊勢防」、小字「高伏」 の岸
隴屋 ・・・ 秋根神社の小丘陵
千歳 万歳 ・・・ 践立を祀る若宮神社の相殿に大歳神
山科の石田の社の須神 ・・・ 前勝谷の熊野神社、または勝谷神社
相坂山 ・・・ 長府逢坂

勝谷は勝とも書かれた。 「屋」 は屋根で地勢が高くなっている場所が中心地であろう。 前勝谷町の中村という農家の家に長府忌宮神社の門があり、中村さんの持ち山だった国道2号線 長府トンネル口 新しくオープンした大型パチンコ店 リッツ の地にあった古墳から刀などが出土していることから、前勝谷丘陵の西端 が古い旧家がある所と見れる。

日本列島を地政学で見れば、長府逢坂と綾羅木川沿いとの間の前勝谷町の道が最高度の要衝地である。 大正時代には前勝谷の農家 西岡・山田さんの家とその前の道はなく、木村・尾アさん の家の前の細い丘道が街道だった。 山陽線の線路移動のために家が移され、戦時中に松根油を採るため樹齢数百年の松の大木が伐採された。
もしかしたら尾アという家は伊都の羽張の末裔か。 尾崎さんという家も古い家柄だ。
木村という家は木の国であり、高木神である。

彦島には迫町の東に楠の大木があったという。 松の大木があったという言い伝えは彦島にはないが、老の山公園には多くの松が生えている。

80年前の戦前であるが大きな松が生えていた場所は
  有冨のハンドウ山の山頂
  前勝谷町の熊野神社 ― 木村さんの家の前 消防機庫
である。

万葉集から、「高松」 の場所が「大王の高円山」 で倭国の王都である。
通説は大和朝廷の奈良県で「大君」。
私見は記紀・万葉の場所は邪馬台国(倭国) があった下関・彦島・門司なので「大王」 と表記できる。


お忌岩は磐
穴門の「践立」 とは、践=踏 で、お忌岩を馬で越す時、その上に馬を立たせて蹄で踏む。 別の解釈として、大昔から神功皇后が住吉大神と密通して応神天皇の正父は住吉大神であるといわれているので、「立」 とは祚(=皇位継承) の意味か。

線路上に架かっていた「黒橋」 は天の浮橋、万葉集2997 石上振の高橋
迦久神は長府の苑寺

住吉大社神代記 20行
紀伊伊都丹生川上 天手力男意気続々流住吉大神
「意気」 は『三代実録』 貞観15年(873) 12月15日 従五位下 を与えられた長門国意久神で、「意久」 の場所は前勝谷 熊野神社跡地の消防機庫がある小丘か、あるいは勝谷神社である。

前勝谷 消防機庫の熊野神社には古墳が3つあったという。
その古墳に埋葬されていた人が貴い方なら、雨ざらしになっている古墳の石に朱の跡が薄く付着しているはずだ。

豊国の鏡山もこの小丘か。



下関市内 熊野神社  祭神 伊邪那美命
前勝谷町 熊野神社跡  消防機庫あり
室津下 熊野神社跡  市川の上流 小字「山田」  消滅

熊野町の権現山

内日では竜王山を権現山と呼んでいた。 赤田代の五年神はモチノキが神木となっており、回りにカズラが茂る。 五年神は女性で、醜い姿を人から見られるのを嫌う。 これは黄泉の伊邪那美命に通じる。


道横にある岩 ・・・ 黄泉の平坂に置かれた道返し大神
前勝谷町 お忌岩 ・・・ 吉母の大河原に同じ言い伝えの岩がある 
吉見 農免道路横の千石岩 ・・・ 道路建設のため半分以上 撤去

吉母の大河原 お忌石
  馬蹄石ともいわれ、言い伝えが前勝谷のお忌岩と同じ点が興味深い。

室津上 バス停 椿原 から御崎へ上る遍路道を行く。
  新しい溜池を越えて、砂防ダムの川上に多数の無縁仏がある大岩あり。

吉母 大河原の馬蹄石には貝の化石が付いていると何かで読んだ覚えがある。 大規模な貝の化石がある場所は彦島の西山町である。 彦島西山町から運ばれたものか。


1m × 1m × 2m で 大きさ 2㎥ 
「どこにでもある庭石」 を調査してみたら、地元で産する石ではなく、人間が遠方から運んできた石だったというのなら、市の文化財に指定されてない貴重な史跡の発見である。





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