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zoom RSS 彦島ピラミッド 龍宮神社 姫塚

<<   作成日時 : 2014/10/18 02:55   >>

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彦島
山口県風土誌 彦島村
長門国志に、古老相伝へて古へ彦火火出見尊、此島に住居給へり。
故に彦島と云ふと云へり。

勅旨町
弟子待という地名は勅旨町の転訛という。
門司郷土叢書 9巻  島めぐり 長門彦島
島の京通り (今と昔)
天の江の渡 ― 弟子待の渡 ― 天の江より弟子待間の陸路 ― 渡賃
昔時九州と中国との交通は主に、その何れの方面よりするも、引島を通じて行はれて居たのが大部分である。 現今大里に牛馬渡しなど残って居るのも当時の遺習である。 下の関は西部の方が、昔では早く開けて居ったと云ふことは、徳利小路・蛤小路などの蛮的町名が東部に多かったのに見ても分る。 で伊崎から天の郷の渡を渡って、天の郷より本村を経て弟子待に出で、弟子待より船にて、九州は大里・赤坂・小倉等へ、潮の都合で渡って居ったのである。

海士の郷の渡を、昔天の江の渡と云って居った。 それ等を以て天の川の渡しと聞き誤ったのではあるまいかと思はる。
年月は明記してないが、勅旨島より九州に渡るには一文の渡銭としてあるのに見ても、引島は九州中国の交通の要津であったのであることが分る。


門司郷土叢書 1巻  郷土編年紀略
1490 (830) 勅旨田
大銅元年7月の詔勅に、畿内の諸国に於て名を勅旨に托し、公水を分用して新田を開発し或は瘡田を捨てて良田を取り、勅旨に托して私田を開くものあるを以て之を禁ずと云ふ。 然るに此勅旨を為るものは多く女院、王族なりき。 天長6年武蔵国に250町の西院勅旨田なるものを置き翌年下野国に400町の勅旨田を置き、同年@長門の一島を勅旨嶋となし(中略) 此の如く全国の土地よりの租税によりて生活すべき皇室が、自ら勅旨田なる御料地を設定したる同時に王孫、公子、宮嬪に私田を賜ふの風生じたり。 是れ蓋し荘園の起源ならんか。
@後ノ彦島弟子待ニシテ乃チ彦島(引島) ナランカ


郷土読本 栄える彦島  昭和8年
勅旨田 と 弟子待
此の地には往古非常なる良田があって、勅旨に依って公収せられたことのあるのは、類聚国史に「淳和天皇天長7年5月乙未 長門外島為 勅旨田 但其内之公私田験灼然不 在 此例」 といふ考証あることに依って知ることが出来る。 蓋し其の外島は外と引との草書字形が類似してゐる點から、引島と謬ったものであるとは、大日本地名辞典に於て吉田博士が断定してゐる処である。
そして勅旨は一にテシと訓むから、勅旨町(テシマチ) と訛りて弟子待の文字を充て、遂に今日の如く弟子待(デシマツ) と呼ぶに至ったものである。 されば慶長17年4月、佐々木厳流が宮本武蔵と船島に於て仕合した時、佐々木の弟子達が師の身の上を案じて待ってゐた処であるから、其の為に地名を弟子待と呼ぶに至った等は、信ずるに足らない説であると思はれる。



彦島ピラミッド
高山。 岩山ともいう。 標高70.1m
戦前、海軍・陸軍の砦があったので、海軍山、陸軍山、兵隊山ともいう。
「岩山」 という山名は、山頂に大小の大岩が2つあったため。
小さい方の岩は宅地が開発されたときに持っていかれたのか、なくなった。

私見
彦島ピラミッドは日向の高千穂峯だ。
山頂にあった2つの岩は磐座で、二上山か。
「日向」 とは門司が太陽なので、弟子待(勅旨町) は対岸に位置する。

塩土老翁は塩田があった福浦または塩田川の人である。



龍宮神社
門司郷土叢書 9巻  島めぐり 長門彦島
弟子待の竜軍様
弟子待に竜軍様と云ふがある。 弟子待は東奥田と畦(くろ)分されて居った所である。 石炭貯蔵場を開く祭、古塚を一ヶ発いた所が、その人の脊が急に痛疼して来て、「吾は是れ弟子待を開いた戸根六佐衛門である。 何ぜならば吾塚を発(あば) きたるぞ。 無礼至極の者共」 など叱曹オたことがあったが、その時祠官を請じて無礼を謝したれば、間もなく、その人の痛に癒えたるにより、そこには竜軍の祠を建立せる由。 同地の人の斎しく伝ふる所。

弟子待町内会 太田氏の資料
龍宮神社は弟子待の旧家である登根氏の所有
棟札によれば明治29年(1896) の創建
ご神体 陸軍浜のピカッと光る石

参道から少し上った場所に姫塚がある。
弟子待にはに「姫の水」 という地名もあるので、平家落人と関係するか。

杉田1丁目の市営墓地の河村家の墓に勝木姫菩提塔がある。
八幡西区の「香月」 は「勝木」 とも書かれていた。 音が同じなので、香月氏と同類の平家一族か。


龍宮神社の近くに住む田中氏によれば
登根家の先祖が夢枕に「海岸の海に光る石がある」 とのお告げがあった。 網にかかって引き揚げて家に置いておいたらめでたいことがあったので、神社を建てて祭った。


私見
「海中で光る石を得た」 は豊浦津で神功皇后が得た如意珠である。
文庫書紀A126-6

神功皇后の如意珠は彦火火出見尊(山幸彦) が海神から授かった潮満瓊・潮涸瓊(塩盈つ珠・塩乾る珠) と同じか。

勝木姫は神功皇后を連想させる。
若松の伝説では、神功皇后は若い松を逆にして植えて、根付くかどうか卜占していた。
勝木と葛城は音が似る。




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