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<<   作成日時 : 2014/07/02 17:17   >>

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『 川中風土記 』  昭和45年

P23
下有富石棺
有富村字市ヶ原にあり、すでに破壊され、石材に朱塗のあとが鮮明に残存しているが、墳墓の全容を知る由もない。 土地の人達について事情を調査してみると、約30年くらい前に発掘され、そのとき曲玉など多くの出土品があったと伝えられている。 石組みもすでに解かれているが、石棺の原位置はほとんど移動していないらしく、専徳寺前の田の一隅にある、雑木林の中に積まれたままになっている。

私見
石棺が朱塗だから王墓を越えた大王墓である。
下有冨古墳は邪馬台国の大王墓だ。
http://kofunmeguriwalking.web.fc2.com/shimoaritomi.html

他に
朱塗の石棺は
  北九州市小倉南区 城野の方形周溝墓
  下関市 吉田八幡宮の石棺
がある。

吉田八幡宮 石棺
ttp://www.shimonoseki.zapadroad.com/jinjya/s062.html


方形墓は有冨の他に、綾羅木郷遺跡にある復元された弥生墳丘墓
方形周溝墓は下関市菊川町の沖台遺跡

記紀・万葉を読むと、倭国の王族が欲しがる物は石製の玉類である。
人名・神名に「玉」 をつけた名前がとても多い。
玉作り工房があった場所は
  北九州市小倉の城野遺跡
  下関市菊川町  下七見遺跡 ガラス製勾玉作りの鋳型
がある。
文庫書紀@82-1
玉作部の遠祖 豊玉には玉を造らしむ。
名が「豊玉」 なので下関市か北九州市である。
木屋川は豊珠川とも呼ばれた。
「豊玉」 は海神の名でもあり、豊玉彦、豊玉姫。 文庫書紀@168-5

倭国の王族は金銀の宝飾品を身に付けてない。
青銅器は魔力を持つから不幸をもたらすため小さな鏡を持つのみ。

古市古墳群の応神天皇陵は考古学の定義で「大王墓」 とされている。
記紀・万葉等の文献を読めば、豊富な玉類が出土した下有冨の観音堂古墳こそが重要だ。 青銅器の立派さや数の多さとか、国宝の金銅製馬具などは王権とは関係ない。
万葉集979  着るものがなく薄着である。 貴族でも生活は質素。


P25
経塚、経筒
昭和3年(1928)
山口高等学校編 「周防長門遺跡遺物発見地名表」 によれば
吉見 2基
大坪 1基

その後
熊野 1基が破壊された
上安岡の薬師堂跡 1基
有冨の竹生寺 1基


私見
上安岡の薬師堂跡に万葉集52 の藤原宮があった。





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