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zoom RSS 続日本紀@141-15  長府 近江大津 

<<   作成日時 : 2013/06/30 03:03   >>

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長府の歴史
http://homepage3.nifty.com/chofu/rekisi.htm
「ここで豊浦宮又は国府がなぜこの地におかれたのか?
郷土史家の前田博司氏は古代中国の陰陽思想における方位信仰、「四神相応の地」 にまさしく長府が合致することを近江大津宮と長府の地形的同一性を挙げて論考されています。」
(「郷土」42集)

前田博司氏は下関市では著名な郷土史家で、古田武彦氏が前田氏の家に泊まる間柄


長府=近江大津説
継体紀 B208
是歳、毛野臣、召されて対馬に到りて、疾に逢ひて死ぬ。
送葬るときに、河の尋に、近江に入る。
其の妻歌して曰はく、
枚方ゆ 笛吹く上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る


途中、関西まで長いのに山陰沿岸や瀬戸内海の行く記述がない。
近江は朝鮮と一衣帯水の位置にあり、北部九州または山口県沿岸にある。
B208 の記述から、地勢は川を上って近江に入る。


持統天皇 称制前紀 大津皇子の謀叛  D236
尤も文筆を愛みたまふ。 詩賦の興、大津より始れり。

近江大津は倭国で最初に詩賦が興った場所である。
大津皇子の「大津」 は筑紫の大津とみる説もあるようだ。
大津とは長府なのか。

万葉集3238 相坂=長府の逢坂(大坂) か


続日本紀@141-15
和同銅銭
近江国をして銅銭を鋳しむ。
八月己巳、始めて銅銭を行ふ。


和同開珎は長府で鋳造され、先年遺跡が確認された。


宇治
治は部市である。
あるいは、長府に字「内河内」 があり、この「内」→宇智→宇治 か
歴史的に長府は鍛冶職人の街だった。

万葉集
 金野
1700 金風
2013 金風 天漢


厚東川の上流は秋吉台で銅鉱山が多い。 だから「金野」「金風」 と表現される。
厚東川河口の本山半島に須恵。

万葉集1699  宇治川は苗響く。
宇治川の河口は大きい。

国道2号線  楠町と山陽町の境に逢坂


大津皇子
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/ootu.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ootu2.html

万葉集109
大船之 津守之尓 将告登波 益為尓知而 我二人宿之

「占」 の字があるので、土井ヶ浜〜矢玉〜宇賀本郷 のあたりとも思える。





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