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zoom RSS 筑紫 ― 難波 の距離

<<   作成日時 : 2011/04/03 03:28   >>

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孝徳紀 白雉2年是歳  岩波文庫 日本書紀(四) P316〜318

是歳、新羅の貢調使知万沙飡等、唐の国の服を着て、筑紫に泊れり。
朝庭、恣に俗移せることを悪みて、呵責めて追ひ還したまふ。
時に、巨勢大臣、奏請して曰さく、「方に今新羅を伐ちたまはずは、後に必ず当に悔有らむ。 其の伐たむ状は、挙力むべからず。
難波津より、筑紫海のに至るまでに、相接ぎて艫舳を浮け盈てて、新羅を徴召して、其の罪を問はば、易く得べし」とまうす。

大阪府(難波)から九州の福岡市(筑紫)まで船の先を連ねるのは不可能である。

上の文を直に読むと、筑紫 ― 難波は10キロ以内の距離である。
「筑紫海の裏」は宇久島 下山の「裏浜」である。


皇極紀 元年正月29日  岩波文庫 日本書紀(四) P186〜188

乙酉に、百済の使人大仁阿曇比羅夫、筑紫国より、駅馬に乗りて来て言さく、「百済国、天皇崩りましたと聞りて ・・・・ 」

これも船でなく馬で九州の筑紫から大阪府(難波)または奈良県(大和)に来ている。これもおかしい。馬に乗って来れる距離は50キロ以内であろう。
筑紫 ― 難波は50キロ以内。


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